第89回 生きて死ぬ
7月25日は夫の命日。
夫とは22歳で出会い、それから3年後に結婚。翌年息子が授かり、19年にして家族の時間が止まった。夫は成人した息子の姿を見ることなくあの世に逝った。
この時「人生、楽々パックに乗って、愛する夫の胸で最期の時を迎える」計画がぶっ飛んだ。夫によりかかり、自分の弱さにも気づかないまま、生きていけるはずだった。
「なんで死んだ?!私を置いてあなたは・・・」
夫は癌だった。病名は電話越しに聞いたと記憶する。「病院で少し休んでたから遅くなる」家で待つ私を気遣う言葉が加わった。
ひとりになって19年。あの時の家族を想う夫の優しさに気づく。
闘病中もよわねや愚痴を吐かず、教師として最後まで生き抜いた。「癌になって、まったく違う生き方や道を探し出す人もいる。けれど僕は…」?んだ唇。
ひとりで生きて19年。あの時の家族を守ろうとした夫の強さ、私には身につかなかった。だけど、あなたが残してくれたこの家から、10年かけてやんちゃ息子が教師となり巣立った。
白ティと緩いパーマが似合う37歳になった息子は、今年もお仏壇に手をあわせてますよ。
毎日だらだら、ワンコと暮らす私は褒められたもんじゃないけれど、息子の頭はなぜてほしいな。夢の中ででもいいから。
「なんで死んだ?!私を置いて夫は・・・」お骨も手放せず、恨みと悲しみの顔を向け続けた私に住職は何度も何度も繰り返した。「死んだのは生きたから」「生きて死ぬ」「僕は心に触れない。経を読むだけ。あなたがそれを欲した時にいつでも言うてください。御布施は二の次でいいです。いちおう坊主ですので。ええですか―生きて死ぬーですよ」そん な言葉に支えられ、夏の雲を一年また一年見送った。
空いっぱいに並ぶ入道雲を19年眺め、私だけが64歳になった。どうやら私はまだ、この「生きて死ぬ」の「生きている途中」らしい。
で、ここまで生きて思うのだ。これは、もう自分の意志じゃない。定めという運命というか、なんというか現実なのだと。
若い時は、生きているのが当たり前で、私は一人で生きているって勢い。なんなら生死も自分で決めていいんじゃない的な、命の暴走アクセルも持っていた。
でも、年を取り、わが身を移動することが大変になると、「死のう」なんて考えられなくなる。皮肉なもので、一寸先は転倒という恐怖心を抱えていると、立ち座りにも細心の注意を払ってしまうのだ(笑)
壁伝いにあるいは押し車を使って、足も上がらず歩幅も狭くよちよちヨロヨロで一日が終わってしまう。それでも、朝日を浴びる。飯を食らう。ワンコの背をなぜる。
「ぼちぼちゆるゆる、生きてから死ぬ」このことを私は、頭ではなく心ではなく、体で悟れるようになったのかもしれない。
動きにくい体に、命のストッパーがついた現実は、私一人だけで作ったわけではない。みんなで成している現象なのだ。大事にしなきゃ。