第73回 母と娘のバースディ@
―母の誕生日―
去年は「えっ今日誕生日?で、私何歳や(・・?)と問われ「92歳おめでとー」を告げた。「そんなになるんかいな・嘘やろ。ほほーう。で、何歳になるんや」母と無限ループをした昼下がりだった。
「また、あんたのとこにも行くわ。でも、どないして行くんやったかいな」「うん、また迎えにくるわ。母ちゃん、元気でおってな」「えっお迎え? 私まだ死にとおない」
「もーお前ら何言うてんねん。コーヒー入ったで」傍らで、微笑んでいた父の声にも張りがあった。
今年は「誕生日って何なん?」パジャマのままベッドに腰かける母。春には、桜の木の下で、家族写真が撮れた。気持ちよさそうに青空を仰いでいたのに。
「母ちゃんまた、おこもりかいな」父に問うと「ワシもしんどい」しゃがれた声で下を向く。
でも、「なあ誕生日ってなんなん」といいながら、大福もプリンもケーキもいっきに平らげて、挙句に「福ちゃんがいたら・・・」としくしく泣きだす。
うっうわーお口と演技力は健在やん。
「好きな父ちゃんにお世話を焼かれて。娘が買ってきたプリンで口いっぱいにして、ベッドでごろんごろん。あんた幸せな93歳やん。なのに…。いつまで死んだ義理息子の名前言うとんねん。私は悲しくてもあんたの前では泣けない。人の古傷えぐるみたいに泣きやがって。悲しいふりやん。ひょっとしてぼけたふりちゃうん」が娘の胸の内。
まあ、医学的な言葉を借りて言うならば、狭心症を抱えた老婆が、認知症状と体力の衰えによるフレイルになり、布団の中にいる。てな感じになるが。母がいつ狭心症になったかは誰も知らない。フ シ ギ。
冬眠状態が続く母が気になり、私もね、最近、頻繁に実家に通っていましたが。
2日ぶりでも2カ月ぶりも「千夏・久しぶりやね」という母。私はまずここでイラっとする。
「久しぶりやね」ではなく、毎回「元気にしてた?ありがとう」と言われれば、腹も立たないんだろうか。
「嫌ならやめとけ。ばあちゃん別にどこも悪くないやん。先月焼肉うまそうに食ってたし。おかん、いつまでええ娘してるん」と息子は受話器を置いたまま、実家にも顔を出さない。
「認知症からのフレイル(体力低下)。からの寝たきり移行という一文にびびるおかんが、お婆にうまーく使われとる。そこに俺の嫁を巻き込むな」とだんまりを決め込む気だ。
「認知症とフレイルの進行を遅らせるのは外部刺激が大切だって、どの資料にも添えられている。あんたも協力してよ」と言ったとて
「それはそうだと思うけど、記憶として残っていかない人には、外部刺激も効果が薄い気がするで。家族の思いとしてやってあげたいけど、おかんも俺らもそれぞれの生活があるやん」お利口なお嫁ちゃん監修のお言葉が息子からのlineとして返されるのがおちだ。
人は通常時、今朝食べたものは覚えている。昨日の献立も少し考えると出てくる。
今の母は、記憶すること・記憶したことを思い出すのが難しい。
人は、記憶のストックが明日への希望となる。昨日食べたスィーツが美味しかったからまた買いに行きたい。あの人はいつも笑顔で話しかけてくれる。足が痛いけど、こんな痛みはここに灸をすえたら消える。などなど。
それらがないと、生きることが不安でしかなくなることは想像できる。
だいたい、私を含めた50〜60世代は、情報に毒されている気もする。
93歳現役なんとかやピンピン元気な93歳の動画。加えて認知症と言われる人と暮らす家族の美しく描かれたドラマ。これらの類は、まっことクセモノである。
あたり前だけれど、人それぞれの93歳があるのだ。そして、ゆるゆるぼちぼち弱っていく親の姿を見守り続けるのがこどもの務めなのだ。