第335回 「光陰矢の如し」なワケ

佐古和枝(在日山陰人)

「年をとると、一年がどんどん短く感じる」〜もう20年ほど昔のことですが、南こうせつさんと初めて出会った時に、こうせつさんが同じような話をされました。「縄文人って、平均寿命が30年というけれど、彼らの30年って、長かっただろうね。30年生きたら、もうヘトヘトだったんじゃないかな」とこうせつさん。「へ?」とサコ。だって、30年の人生といえば、私も含めてほとんどの人が「短い!」と思うでしょ。ところが、こうせつさんの説明は、次のよう。「だって、ボクらが子どもの頃の一日って、すごく長かったでしょ。学校に行って、放課後は友達と川で魚を捕って、家に帰ってご飯を食べた後はお兄ちゃん達と遊んで・・って、寝るころにはもうヘトヘトになってるほど、一日がとても長かった。縄文人だって、生きるために必死にあれして、これしてって、毎日ヘトヘトになってたんじゃないのかな。だから、彼らにとっての30年って、もういいやってくらい長かったんじゃないかなぁって思うのだけど、ボク達って、目先のことに追われてバタバタ忙しくしてるうちに、一年があっという間に過ぎてしまうでしょ。なんでだろうね。現代人は、縄文人よりも長くて薄っぺらい人生を生きてるのかなぁ」みたいな話。子どものような無心に熱中する純粋さや、縄文人のような命がけの必死さが、時間の濃度を高めているのでしょうか。

「年をとると、一年がどんどん短く感じるのは何故か」〜つい先日、「ボーっと生きてんじゃねーよ」のチコちゃんが、番組のなかでこの疑問をとりあげていました。そして、その答えは「年をとると感動しなくなるから」でした。その検証として、「昨日、なにをした?」と子ども達に尋ねると、機関銃のようにあれこれと話してくれる。なのに、オトナに尋ねると、「え〜っと、何したっけ?」と、答えるまでに時間がかかっていました。ボーっと生きてるわけではなのだけれど、長く生きていると、いろんなことが経験済みで感動しなくなるから、記憶にも残らない。それで、一日、一週間、一年が「あっという間に過ぎた」となる、ということかなと。

それに加えて、サコの場合、前にも書いた気がしますが、やはり年をとって、仕事のスピードが確実に低下しています。以前なら、1時間でできた仕事に半日かかる。1週間あればできた仕事に1ケ月かかる。だから、一日、一ケ月や一年があっという間に過ぎた感じがするのではないかと思います。このコラムだって、以前はちゃちゃっと書けたのに、いまはモタモタと時間がかかります(汗)。昔は書きたいことが次々に湧き出てきて、週1回の新聞連載も全然苦ではなかったけれど、最近は絞りだして、やっとこさ。経年劣化したのは、感動する心か脳ミソか、はたまた気力・体力・集中力か。。。はい、全部ですね(;^ω^)

もちろん、歳を重ねても劣化しない感性と脳ミソの持ち主はいらっしゃる。五木寛之さん(83歳)は、1975年某日刊紙の創刊時から現在まで毎日コラムを執筆。2008年に8000回でギネス登録、そして今はもう10600回を突破しているのかな。書き溜めることはせず、毎日お書きになるそうです。私は読んだことはないので、どんなコラムなのかは知りませんけれど、40数年間、毎日コラムを書くっていうだけでも、すごい。
千夏さんも、週1回の新聞連載が500回越えましたよね。これまた、十分にすごい。第1回がちょうど10年前の1月7日、「還暦の覚悟?!」というコラムでした(読みたい方は、「むきばんだ応援団」HPの「むきばんだやよい塾・講師控室」の「中山千夏さんの部屋」を訪問してください https://sakoneko7032.wixsite.com/mukibanda/blank-4

歳をとると面白い発見があるというのは、千夏さんの感性のアンテナが錆びてないどころか、ますます感度が高まっているわけだ。われら凡人は、なかなかそうはいかないけれど、歳とともに、若い頃とは別なアンテナがうごめいている気はします。歳をとることが楽しみになるよう、これからも、いろんな発見をサクサク書き続けて下さいね〜!