第334回 たくさんで70回目のお正月!

中山千夏(在日伊豆半島人)

「おんな組いのち」組員のみなさま、関係者のみなさま、はたまた当欄をお読みくださっているみなさま、このたびは、どのようなお正月をお過ごしになられましたか?

私はね、1949年の正月を第一回と数えて、な、な、なんと、70回目の新年を迎えました!
ははは、48年生まれのひとたちは、みんなそうなんですけど。

まるまる一年遅れの同じ日に生まれたシンガー・ソングライター長谷川きよしと、草月会館ホールでだったか、コンサートをやったのは、いつだったかしらん。
題して〈7月13日に生まれて〉
当時、トム・クルーズ主演、オリバー・ストーン監督の反戦映画『7月4日に生まれて』が話題になっていて、それをモジってタイトルにしたのは、総合プロデューサーの矢崎泰久さんだった。映画の公開が1990年、するとコンサートは90年代前半だったのかな?
きよしとふたりでたくさん歌った。

♪たくさんでうまれたんだ〜たくさんでうまれたんだ〜
た・く・さ・ん・でね〜♪

なんていうサンバ風の歌「たくさんで」を、いっしょに作って、フィナーレで賑やかに演奏した。たくさんで生まれたこの世代が、パレードしているイメージよ。
それからだけでも数十年、ワレワレは行進してきたわけです、やれやれ。

今年は珍しく風邪と共に年を越しました。
咳と気管支のざらつき感のみで、熱も出ず寝込みもせず、治療は例のごとく漢方のみ。寛解は確実にしていますが、松の内を越してもなお、全快しないの。
「年をとると風邪でも傷でも治りが遅い」というご同輩と実感を共にしています。
そう、「年をとると」なること、いろいろあって、なかにはとっても不思議なこともあるね。

もっと若いころに気づいたこと、「年をとると一年がどんどん短くなる」、これも多くのひとたちの実感でしょ。私の場合は、高校から先、一年がどんどん短くなった。理由を追求してみたんだけど、コレという説はないみたい。一番、信じられる説は、これだった。
人間は自分の生きた長さとの比率で年月を感じる。たとえば1歳の赤ん坊は1年を1分の1年と感じる。10歳なら10分の1年、ハタチなら20分の1年、70歳なら70分の1年、となるので、年をとればとるほど、1年が短く感じられる。ふうむ、そうかも。
だとすると、人間とは実に主観的存在なのだ。おもしろい。
もひとつは、年をとってから街ですれ違う群衆に「あれ、このひと知ってる」「だれそれにそっくり」という風貌を多く見かけるようになったこと。
誰もがそうなのかどうかわからないけれど、晩年の母がよく、「あのひとどこかで見たことがある」と言っていたところをみると、ある程度、一般的な現象なのではないか、と。
思うにこれは、あまりにもたくさんの顔を見てきたことと、視力の低下とがあいまって生じる現象ではなかろうか。
顔を大雑把に類型化して見ちゃうので、似た顔が多く見えるようになるわけね。

だとすると、年をとったら似顔絵がうまくなるかも。似顔絵の名人から聞いたことがある。日頃、たくさん顔を見て、その部品を分類して引き出しにしまっておく。つまり、ひとびとの顔を類型化しておくわけ。
そして誰かの顔を描く時は、その引き出しから似たもの、似た目とか似た口とかを引っ張り出してくる。
ただし、この類型化は、意識的に顔をたくさん見て優れた腕前で分類することが必要なわけで、ただ漠然と顔をいっぱい見て視力低下のおかげで類型化できるようになっただけでは、ま、ろくな似顔絵は描けないだろうけどね、それにしてもおもしろい。

そうです、「年をとると」おもしろい発見がいっぱいあるよ。
それを楽しむには、自分は生き物として年をとった、と認めるのが必須条件。
だからこれからも、私は若い、なんて夢思わず、若くあり続けることなどに労力を費やさず、私はじゅうぶん年をとっている、と認めて、おもしろいことをたくさん発見し、遊びまわりたいと思っています。

というわけで、サコちゃん、みなさま、今年もよろしくいっしょに遊んでねっ!