第327回 りんごはなんにも言わないが

中山千夏(在日伊豆半島人)

この夏はぞぞっと恐ろしいもの読みましたよ!
いや、怪談ではないんですけど。
場所も墓場ではなくて、さる賞の小説部門選考会で。
お化けは、「歴史改竄小僧」とでも言いますか。

それは、自費出版された小説でした。著者は50代男性。
明らかに若者をターゲットにした軽妙な、一種のSF作品でした。
フクシマの大津波に、高齢の祖父もろとも巻き込まれて失神した高校生が、気づいたら若き日の祖父になっていた。
その夢だかタイムスリップだかから、目覚めて、人生観がどう変わったか、というお話。

若き日の祖父は、太平洋戦争末期の満州で、かの関東軍に所属しています。
小説の大半は、だから、満州での兵隊さんのお話で、祖父としての体験談は、満州を引き上げ、故郷に帰り着くところで終わっています。
それに、現代の高校生に戻った主人公の生活と意見が少しあって、全巻の終わり。

あとで思えば、満州での話もヘンでした。
歴史的な事件が当然、出てくるわけですが、なんでもかんでも敵国が悪い。
日本は正しい。日本軍は正しい。日本の兵隊さんはいいひと。
私が小耳に挟んできた、当時の戦況、関東軍の挙動とは、違う記述が多々ある。

でもね、これぞ「小説」が歴史を扱う時の恐ろしさなんですが、語り手は若き日の祖父(と合体した高校生)なわけだから、「まあいいか」と読んでしまうわけですよ。
実際に私が見聞した時代でもないしね。
うちには当時の兵隊経験のある男子がいなかったから、伝聞もそう近いものではなかったしね。
もともと小説のなかでもSFはウソ八百なんだしね。

しかし、帰国した主人公の「リンゴの唄」を巡る記述にはギョッとなった。

当時、日本ではこの歌が大流行していた(これは基本的に事実)。同時に、アメリカ軍による言論統制も厳しかった(これも基本的に事実)。そこで、主人公ははたと発見する。
その大意。「赤いリンゴとは日の丸のことだ! みんな、日の丸を称揚したいのに、アメリカの言論統制があってできない。だからリンゴに思いを托した。黙って見ている青い空、とは星条旗のことなのだ! それでこの歌は日本人にこれほど愛されているのだ!」
さらに祖父と離脱したのちに主人公は、作詞者サトウ・ハチローが広島の原爆で弟を亡くしている、と知り自分の解釈を「確信」します。
その大意は、「詩人は、弟を捜して被爆の街を歩き回ったに違いない。そして日本が負けたことへの感慨を歌おうとした。だが、アメリカ占領軍の言論統制で自由に歌えない。だから、リンゴと青い空に思いを托したのだ!」

空襲と「リンゴの唄」の話なら、母から直接聞いています。
母と同世代のひとたちからも、よく聞きました。
サトウさんとは、生前、面識もありました。
だから、こりゃひどい、と心底、思ったわけです。

母によっても通説でも、「リンゴの唄」には戦争から開放されたすがすがしさがおおいに感じられた、それまで表現への締め付け(むろん日本によるものです)がひどく、軍歌ばかりだったのにうんざりしていたので、すがすがしさに酔った、そんな解釈ばかりでした。
発表の次第は芸能史に残っています。
サトウは戦時中にこの歌を作詞した、しかし日本の言論統制によって「軟弱」でいかん、と発表させてもらえなかった、占領時代にやっと(軟弱な!)映画の主題歌として発表がかない(1945年『そよかぜ』)、大ヒットした、というのが通説です。
ことこれに関しては、封殺したのは日本であって、アメリカ軍ではなかった。
サトウさんを少々知る身としても、弟のことは知りませんが、あの元「不良」の、浅草オペラに入り浸っていたペラゴロの、自由が衣服を着たようなロマンチストが、それほどの軍国主義者だったとは、まったく思えない。

ネットで調べてみたら、ある極右と思われるサイトだけが、類似の説を載せていました。すると、この説は、ある程度の支持者を持ち、さらに意識的に広めようとされているのだな、と推測しました。

この小説は、主人公の決意表明で終わっています。それは、自分が祖父として知った「歴史の事実」をみんなに伝えなければならない、ことにもソ連の悪を伝えなければならない、という決意です。この小説の目的が、ここでようやくはっきりしました。
これは意見広告です。われわれの賞は文芸に対するものなので、意見広告は選外、と決まりました。

モノ知りの同僚によると、最近、商業出版でもこのテの小説がよく見られるそうです。
噂に聞いていた歴史改竄小僧が身近に出たので、心底ぞっとしたわけでした。
そして、日頃からの意見、歴史を小説で扱うのはアブナイ、という意見をまた強めたわけでした。

教訓としては、歴史は硬いノンフィクションで知れ、歴史小説は眉にツバして楽しめ、ということですかな。