第321回 右向け右!と言われたら・・・

佐古和枝(在日山陰人)

おお、カルト集団ですか。たしかに、なるほど、です。政治家、役人、企業、そして大学にまで、いつのまにかこの国は、こんなにワルイおとなだらけになっていたのかと愕然とする日々です。昔からワルイおとなはいたけど、いまほど問題視されなかった。それを表沙汰にできる世の中になったのは、喜ばしいことなのかもしれませんが、それにつけても、悪事がバレた時の悪アガキの仕方があまりにもお粗末で、情けない。

ワルイ政治家、ワルイ役人もさることながら、日大の一件は、スポーツに打ち込んできた学生をまきこんだという図式で、アコギさが際立ちました。学生とはいえハタチにもなって・・・というのは昭和の時代。いまの20歳は、われわれの時代の20歳に比べて、ずいぶん幼いです。
寿命が長くなった分、人間としての成熟スピードも遅くなっているそうです。「年齢7掛」説は、実年齢に0.7を掛けたものが実感年齢、言い換えれば人生50〜60年だった昭和の年齢だとのこと。だから、20歳なら14歳、われわれの時代の中学生にあたります。そう思ったら、課題を忘れた言い訳の稚拙さも、腹が立たなくなりました。

子どもは、大人の映し鏡です。あんなワルイおとな達に囲まれていれば、学生たちがマトモに判断できなくなるのも、仕方ないかなと思います。いまの子ども達は、公私ともにすみずみまで、おとなに管理されて育っています。子ども達は、おとなの言う通りにしていれば、「いい子」だと褒めてもらえ、いい点数がもらえます。至れり尽くせりの教材や遊び道具が揃っているから、どんなふうに勉強しようか、何して遊ぼうかなど、自分で考えなくても済む。
自分で考える手間が省けた分、大人の顔色みながら褒めてもらえる解を探すのが上手になっている。テレビにでてくる小中学生や若者の妙に優等生的な受け答えをみていると、そんな気がしてなりません。

おとな達が学校の中でも外でもそういう教育をしてきたのですから、自己判断でワルイおとなの命令を拒否するような自主性とか判断力、行動力など、育つはずもありません。それなのに、社会人になったらいきなり「そんなことも自分で判断できないのか」と叱られて、心がポッキリ折れてしまう。新入社員の離職率が高いのも、わかる気がします。って、いつになく、妙にものわかりのいいオバさんになってる私(;^ω^) だからといって、これでいいと思っているわけではないのですけれど。
これでいいのかぁ〜と、文科省も思っているようで、昨年告知された新しい学習指導要領では、「主体的な学び」「対話的な学び」「深い学び」が強調されています。たしかにそれはどれも必要なことなのだけれど、それをどう実現できるのかは、なかなかの難題です。

至れり尽くせりの行き届いた世話を焼かれると、人間はだんだんダメになっていく。老父の介護の時によく言われたけれど、子どもでも大人でも変わらぬ真理でありましょう。世話を焼かれることに慣れきった現代の若者層の多くは、とりあえず自分のまわりの半径3mほどが無事であればそれでよく、その外側のことは、自分で悩んだり考えたりしなくても、おとな達がなんとかしてくれると思っている。「右向け右!」というおとなの指示が正しいか間違ってるかなんて、自分が判断することではなくただ従えばいい〜そういう教育を熱心におこなってきたことのツケを、われわれおとなはどのように弁済すればいいのでしょうか。これでいいのか〜これでいいのか〜と言い続けるウルサイ婆さんになるしかないか。いや、そんなことしても、ついにボケたかって言われるだけかな(;^ω^)

「右向けと言われたら右向き
左といわれれば左
死ねといわれれば死ぬ
おれはもうそういう日本人には
なりたくねえんだ」

(中村敦夫さんの一人芝居「線量計が鳴る」の決めぜりふ)