第314回 皆既月食、見た?

中山千夏(在日伊豆半島人)

天文にはそう興味が無いんだけど、周囲が騒ぐもんで見ました。
1月31日の皆既月食。
なんでも日本では2015年4月4日以来のことで、
しかもスーパームーン(月がいつもより近くてでっかく見えることらしい)のうえに、
ブルームーン(一ヶ月の間に満月が2回おこることらしい)で、
おまけにブラッドムーン(光線の加減で月食の月が赤く見えることらしい)なんだって。
(どうして英語になっちゃうのかしら?)

でも、寒いし、肉眼でははっきりしないし(乱視だもんで、たはは)、双眼鏡は見にくいし、
写真もオートじゃうまく写らないし、で、半分まで影になったあたりで、やめた。
飽きたこともあるけど、なんか、落ち着かない、不安な、不気味な感じがしてね。
昔の人が月食を不吉と見たのは、もっともだと思いましたよ。
そう思いつつ、あ、昔っていつなんだろ、とも。

確か『古事記』には月食も日食も出てこないよね? この時代は天文にほとんど興味がないみたい。私と同じで(;´∀`)
ほぼ同時代の『日本書紀』には少し天文記録があるみたいだけど、月食は無かったような気が。続く『風土記』でも月食やら天文の記事は印象に残ってないなあ。

あるネット博学の説によると、中世のひとたちは月食を忌避していたらしい。
日記『玉葉』を残した九条兼実(平安末期〜鎌倉初期)は、月食の間、お経を唱えて決して月を見なかった。源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)も月食を理由に方位変えみたいなことをした。西行(平安末期)は、「世間のひとは忌む月食を私はわざわざ見ている、変人だと噂されなければいいが」という意味の歌を残した。
ンなこと、書いてありました。

月食はともかく、月といえば、日本の物語にサンゼンと輝く「竹取物語」。
と言うと『源氏物語』みたいに誰かが書いた一巻の書物みたいだけど、成立も作者も不明。題も通称に過ぎない。10世紀ころからのいろいろな書物(代表的なのは『源氏物語』)に「古い物語」として類似の説話が記されていたのが今に伝わる。
竹取を職とする翁が、竹の中に輝く女の子を見つけ、育てるが、いろいろあって、結局その娘は月から迎えがきて月へ帰っていった、というお話。
考えてみると、この話は、月には下界より高級な「都」があって高貴な人たちが住んでいる、つまり高級だけれども地球みたいな「場所」と想定しているわけだから、ただ輝くモノ、あるいは不吉なモノ、と感じているよりはずっと現代的なんじゃないの?

なんて思いつつ、その原文(といっても現代、原文とされているもの)をいくつかネットで見てみたところ、こんな一節に出くわした。

ある人の、月の顔見るは忌むことゝ制しけれども、ともすれば人間にも月を見ていみじく泣き給ふ。

月の都から迎えが来ることを察知した姫は、月が出ると、見上げて泣いてばかりいるようになる。そこで「ある人が『月の顔を見るのは忌むべきこと』だととめたけれども、人目をしのんでは月を見てひどく泣いている」。
この部分がいつできたのかわからないけれど、少なくとも10世紀ごろの日本文化には、月の「顔」を見るのは忌むべきこと、月をしげしげ眺めるのは不吉なこと、という「迷信」があったみたいですね。
すると、十五夜のお祭りも、月を愛でる、というよりは、お団子など備えてお月さまのご機嫌をとる、というところに重点があるのかな?

もっと昔はどうだったんだろ?
どんどこ太鼓を叩いて皆既月食の下で踊っている縄文人、とか想像すると楽しいんだけど!