第299回 サザエの問題

中山千夏(在日伊豆半島人)

ひえ〜〜〜!
私の知識も昔のまんま、人類は陸橋もしくは凍った海を渡って大陸から日本列島にやってきた、で止まってましたよ!
何万年も前のひとが、海を渡ってきたかも、とはねぇ・・・
いやはや自然や人類についての学問探求は、まだまだ先があるんですね。
小さい頃には、もうすべて解明されつくされていて、残るは宇宙だけ、みたいに思っていましたが。その感覚も、けっこう科学を信奉した人間が思い上がっていた時代の影響かもしれません。

研究といえば、その、白保棹根田原洞穴遺跡の最新ニュースは、5月22日だったのね? ちょうどその2日前、生物学の面白いニュースがマスコミに出たの。ことがことだけに、うんと地味でしたが。
私がそれを知ったのは、口コミ。31日に伊東の伊豆海洋公園で潜ったんだけど、その時、インストラクターから聞いた。
「知ってます? これまで日本のサザエとされていたのは、実は中国産の別種だったことがわかったんですって。それで今までは日本のサザエには学名が無かったということで、新らしく付けて、それが国際的に認定されたとか。学名にちゃんとサザエが付いたんですってよ」

ネットで調べてようやく、わけがわかった。
マスコミ発表したのは、岡山大大学院環境生命科学研究科の福田宏准教授。
余談だけど、こういうニュースって、書き手の興味や知識によってわかりやすさに差があるでしょ。それにこれ、学名の仕組みや歴史も絡むのでやっかい。サザエと聞くと磯野さんちの陽気なオクサンを思ってしまう者には、ひどく難解な話だもんで、いく社もの記事を読んでしまった。結局、こういう話だった。

@1767年に欧州でタヴィラというひとの精密なサザエ状の巻貝の絵図が刊行された。その図の貝は、周囲の棘が短くその間隔は狭く、日本のサザエとは異なる。産地も「Chine」(中国)と明記されている。
1786年、英国の学者ライトフットが、その図の貝をTurbo cornutus(トゥルボ・コーニュトゥス)と命名した。


1757年のTurbo cornutusの図

A1848年、ロンドンの貝類学者リーブが初めて日本のサザエ(棘が長いもの)の絵図を発表すると共に、これを誤ってTurbo cornutusと同定した。
ところで日本のサザエには、棘の無い殻を持つものもある(荒い波の所では棘があり、静かな内海では棘が無いという)。しかしリーブはこれを別種と考え、棘無しを新種としてTurbo japonicus(トゥルボ・ジャポニクス)と命名した。その標本は今もロンドン自然史博物館にある。
ところが、リーブは、著書を出版するに際して、やはり棘の無い、しかし日本のサザエとは別種のモーリシャス産の貝を誤って同種として、両方共Turbo japonicusと記載した。
以後、日本のサザエはおおむねTurbo cornutus(和名ナンカイサザエ)の一種とされる時代が続いた。
B1995年、Turbo cornutusと日本のサザエはようやく識別された。しかし、なぜか大本の中国産のほうが新種としてTurbo chinensisの名を与えられた。
Cその結果、国内でも国際的にも、学問上、日本のサザエは本来、中国産サザエの図に付されたTurbo cornutu(ナンカイサザエ)で呼ばれ、一方Turbo japonicusの学名はもっぱらモーリシャス産を指すものとされてきた。
Cこのほど福田研究チームは、資料調査の結果、日本のサザエはTurbo cornutusの図とは別種であることを確認した。またモーリシャス産と同一視されたことは誤りであったので、Turbo japonicusは無効である。つまり日本のサザエには、学名が無かったことになるので、新たに学名「Turbo sazae」(トゥルボ・サザエ)を付し、この論文を、19日、日豪共同発行の専門誌「Molluscan Research」(電子版)に発表した。
この手続でサザエの学名が、初めて定まったことになる。


このたび学名が定まった日本のサザエ(有棘型) Turbo sazae

福田准教授は、「これでサザエという日本語が国際的になる」と語ったそう(笑)

ね、わかりにくい話でしょ。で、わかってみれば、なんのことはない、サザエの世界は変わりなく、人間の命名が右往左往しただけなのね。
これで思いました、学名にやたらと地名は付けないほうがいいんじゃないか、と。中国とか日本とかモーリシャスとか言っても、当の生物には関係ない。自由にはみ出したり引っ込んだりする。
先日潜った時も、オキナワベニハゼが伊東の海に元気にいるのを見た。黒潮に乗ってくるの。それに今、伊東の海は温暖化していて、昔は冬には死滅していたクマノミなどが、越冬して育ってる。
生物には環境だけが基準で、人間が決めた地理は関係ないのだ。

近現代の人間のスケールは、自然からするとごく狭いのね。
それを考えておかないと、古代史学も生物学も、うまくいかないのかもね。


オキナワベニハゼ