第296回 「明治150年」記念って・・・

佐古和枝(在日山陰人)

ほ〜、来年は「明治150年」ですか。それを顕彰するということ自体は悪いことじゃないわけですが、政府のいう、われわれが学ぶべき「明治の精神」とか、再認識すべき「日本の強み」って、いったい何なのかが問題です。そこで私も、首相官邸HPで「明治150年関連施策の推進について」を読んでみました。いや〜、千夏さんの予測通りの展開ですね。

「明治の精神に学び、さらに飛躍する国へ」ってことで曰く、明治期には
@従前に比べて、出自や身分によらない能力本位の人材登用がおこなわれ、機会の平等が進められた。
A明治初期から中期を中心に、若者や女性、また、学術や文化を志す人々が、海外に留学して貪欲に知識を吸収したり、国内で新たな未知を切り拓いたりした。
Bこの時期においては、外国人から学んだ知識を活かしつつ、和魂洋才の精神によって、単なる西洋の真似ではない、日本の良さや伝統を活かした技術や文化が生み出された。それらは、地方や民間においても様々な形で発展した。

〜この3項目いずれも、明治時代のことを何も勉強していない人達の勝手な妄想か、さもなくばこのコラムで暴かれた“意図的な二枚舌”、どうせ国民は明治時代の実態など知らないだろうとタカをくくった作り話かのどちらか、ですね(〜_〜;)

もちろん明治時代にも、学ぶべきことはたくさんあります。本当の意味での進歩的・民主的な思想家や活動家、各地の農村で品種改良などの血のにじむような農業改革をおこなった農民たち、孤児や社会的弱者のために奔走した人々などなど。でも、現政府が、若者・女性・外国人に絞っていることが気になります。いずれも、社会の実権を握った壮年男性ではない、いわば傍系。ここからもう二枚舌の気配がプンプンしてきます(;^ω^)

@がマヤカシであったことは、最近のこのコラムで明らかになったと思います。まぁ、江戸時代に比べたら進歩ではあるけれど、それは決して国民の幸福を考えての施策ではなかった。 
Aの女子教育にしても同様です。確かに1872(明治4)年に男女とも義務教育をおこなうようになったのは大きな前進だったし、政府も女子留学を実施したけれど、それもあくまで男性の立身出世を支える「良妻賢母」教育に過ぎませんでした。
また、わが国は古代から江戸時代まで夫婦別財産で、妻の財産権は守られていたのですが、明治民法は「夫は妻の財産を管理す」とし、妻の財産権がなくなった。だから、夫が亡くなったら、その妻は、夫側の親族会議で許可をもらわなければ、家の机一つ売却することができなかったとか。日本の女性を社会的・経済的にドン底につき落としたのは、近代化をめざしたはずの明治期の権力もったオトコ達でした。
Bの「和魂洋才」云々の文章も、幕末から明治期に来日した西洋人たちが読んだら、「おいおい、よく言うよ〜」って苦笑するんじゃないかな。

明治18(1885)年、第1次伊藤政権で初代文部に就任した大臣森有礼は、諭吉と並んで西洋文化の導入に積極的でありながら、「良妻賢母教育こそ国是とすべし」という声明をだし、それを推進した人でもある。そのあたりも、諭吉と似ています。彼は急進的な欧化主義者で、日本語を廃止して英語を国語にしたいとまで考えたのですが、相談をもちかけたアメリカのホイットニーという言語学者に「やめなさい」と窘められた。ちなみに、フランス語を国語にせよと提唱していたのは小説家の志賀直哉。どこに「和魂」があるってか?

また、明治政府から招聘された、いわゆるお雇い外国人のなかにオランダのデ・レーケという灌漑技術者がいます。木曽三川や淀川など各地の暴れ川の治水工事を施工したのですが、彼は日本の川をみて「これは川はなく、滝だ」と言ったというエピソードがよく知られています。だって、ヨーロッパの川の多くは、流れているかどうかもわからないほどゆったりした流れだし、オランダは干拓で作られた国だから、起伏の大きい日本列島の川とは、そりゃ違うでしょう。で、彼は「日本の川は、われわれの知識や技術よりも、あなた達の国で長い年月をかけて培われた知識や技術を用いるべきだ」と何度も言うんだけど、日本の役人はちっとも聞き入れず、「なんでもいいから、ヨーロッパのやり方でやってくれ」の一点張りで閉口した、と回想しています。どこに「和魂」があるってか?

ヘボン式ローマ字の開発者であるヘボン博士は、幕末の1859年に来日し、1892(明治25)年まで英語塾や無料の診療所を開き、日本人のために多大な尽力をしてくれました。記憶が曖昧で恐縮ですが、ヘボン博士が帰国してから何年か後、教え子達が何かの記念にヘボン博士を招いて博士への謝恩パーティーを開きました。その時のヘボン博士のスピーチが凄い。「私達は西洋の技術や文化の木を日本に植樹しようと思って来日したのに、日本人はその果実をもぎとることだけで満足し、その樹木を育てることにはまったく関心をもたなかった」と痛烈な批判。「洋才」の導入の仕方も、落第点だったようですね。


ヘボン博士

明治時代は、伝統的な芸術・美術品の危機でもありました。明治維新後、日本人は盲目的に西洋文化を崇拝し、浮世絵や屏風などが二束三文で売り飛ばされ、海外にも流出しました。文化財保護法なんて、ない時代ですからね。
なかでも大きな被害を受けたのは、仏教関係文化財です。これは西洋礼賛の影響というより、新政府によって1868年からたて続けにだされた一連の「神仏分離令」によって、全国的に廃仏毀釈運動が始まったためです。仏像・仏具は破壊・売却され、お寺は廃合され、僧侶も神職に転職したり還俗したり、まぁ大変。隠岐では46ケ寺すべて廃絶、佐渡でも539ケ寺を80に統合する計画に着手。薩摩藩では1616の寺院が廃され、2966人の僧侶が還俗したといいます。有名な奈良興福寺の五重塔も25円で売却される予定だったのに、薪にしても採算が合わないと商談不成立だったから、かろうじて助かった(;^ω^) それにしても、多くの寺院建築、仏教関係文物が失われました。


廃仏毀釈で壊された石仏たち

このままでは、日本の貴重な歴史遺産・文化財が破壊され尽くすと危機感を抱き、文化財保護に奔走してくれたのが、1878年に25歳で東大の教授となるべく来日した美術史家フェノロサでした。フェノロサは、日本にきてすぐに日本の伝統芸術(仏像、仏教美術、日本絵画、浮世絵、日本建築、日本庭園など)の素晴らしさに魅惑され、学生の岡倉天心をともない、古美術品の収集・調査をしたり、各地の寺社を訪れました。同時に、西洋礼賛や廃仏毀釈のせいで、日本人が自らそれらの文化財を破壊したり売却していることにショックを受け、その保存のために奔走しました。日本人に向かって必死に日本の伝統文化の素晴らしさを説きまわり、全国の文化財調査を実施し、優れたものを国宝として保護する制度を始めて、今日の文化財保護法の基盤を作るなど、まさに日本の伝統文化の恩人です。彼の仕事ぶりを知るにつけ、彼がいなかったら、どうなっていたことやらと、ただただ感謝です。なにが「和魂」や!


フェノロサ

そういう国および社会全体の趨勢、施策の失敗、為政者の二枚舌などに一言も触れることなく、為政者達が都合よく利用していた若者・女性・外国人の活動を高く評価しましょうなんて言われても、ね(;^ω^)

もともと日本という国は、古代から江戸時代まで、中国をお手本にして成長してきました。でも、近代になって、お手本だった中国が、アヘン戦争やアロー号事件、太平天国の乱などでガタガタに崩れていくのを目の当たりにし、これはヤバイとお手本を中国から欧米に乗り換えた。もっとも、明治の新政府をたちあげた人達は、政権を握った途端に欧化主義・「脱亜入欧」へと180度の方針転換した、ご都合主義な人達です(;^ω^) まぁ、そうやって都合の悪いことはすぐに忘れるというのも、日本人の伝統的資質かもしれません。

ともあれ明治期に欧米を新しいロール・モデルとして、軍備増強や殖産興業、そして植民地主義まで一生懸命マネをして、日清・日露戦争を戦い、ついに太平洋戦争で国土を焦土にした。明治期は、そうした近代化の間違いと不幸の出発点という見方もできる時代です。明治天皇が国民に下した教育勅語は、親孝行とか友達と仲良くなどのレベルの話ではなくて、最終的には天皇を守るためには命を捨てるのが国民の務めだと、学校で子ども達を洗脳するためのツールです。現政権は、そんな教育勅語を学校教材として使うことを閣議決定で容認した。ビックリ仰天です。

で、1968(昭和43)年の「明治100年記念」はどんなふうだったのか、ちょいと気になりネットで調べてみました。すると、明治百年準備会議が作成した「明治百年を祝う」という文書で、その基本姿勢として5項目が挙げられていました 。
@明治期の近代国家にむけての偉業を高く評価し、A先人の努力や事蹟に感謝し、Bまた、過去の過ちを謙虚に反省し、C百年間における他に類例を見ない発展と現在の繁栄を評価しながらも、他面、高度の物質文明が自然や人間性を荒廃させている現実を憂慮して、その是正の必要性を痛感し、D青少年の物心両面のいっそうの努力と精進に期待して、「この百年の経験と教訓を現代に生かし、国際的視野に立って新世紀への歩みを確固とする決意を明らかにする」ことがこの記念事業の基本姿勢である、とのことです。
そうだ!過ちを学び、反省し、教訓にするという意味では、明治時代には学ぶべきことがたくさんあります。150年記念事業の基本姿勢より、よほど謙虚で穏当ですね。昭和40年代だと、まだ戦争経験者が第一線で力をもっていたから、そう無神経なことは言えなかったのでしょう。


明治100年記念切手とメダル(金銀)

そもそも太平洋戦争末期、食料もなく武器も燃料もなく、もはや戦える状態ではなかったのに、神風が吹くとかなんとかいう軍部の二枚舌を信じこまされ、多くの命が失われた。「軍隊は、平和な時は国民を守ってくれるが、戦争が始まると(国民は犠牲にしてでも)軍隊自身を守る。戦況が厳しくなると、(軍隊を犠牲にしてでも)国体を守る」というのは、ある戦争経験者の方の言葉。とてもリアルに腑に落ちます。
だから、そんな状態で戦争を継続したこと自体が間違っていたのは明白なのに、ドイツと違ってこの国は敗戦の総括をおこなわず、自らの責任も明確にせず、戦勝国による裁判を受け入れることでウヤムヤに済ませてしまったものだから、いまだに太平洋戦争が間違っていたと思っていない(思いたくない)人達が一定数いる。そして今、そういう人達がおおっぴらに、明治時代や戦前を美化し、「強かった日本」という虚像・妄想を広めようとしている。戦後70年たって、戦争経験者がぐっと減ってしまったことで重石がなくなり、戦争を知らない世代が暴走をはじめたということかなと。

歴史に何も学ばない、誰も責任をとらないでズルズル体質は、8.15も3.11も同じ。原発再稼働、一方的な避難指示解除、復興大臣の暴言など、あいかわらず政府の無責任な対応には唖然とするばかりです。戦後70年、何も変わっていない。どころか、二枚舌も無責任ぶりも、都合の悪いことはすぐに忘れるという性癖も、明治時代からの150年間、何も変わっていないのかも。そう思うと、近代日本が背負った病の重篤さに思い至ります。歴史に学ぶということを知らない人達に、国のかじ取りを任せる恐ろしさを、いまほど切実に感じたことはありません。しっかりしよう、私たち。