第294回 諭吉さんの二枚舌

佐古和枝(在日山陰人)

春が近づいてきましたね。いろんな花も裂き始め、ウキウキするはずの季節なのに、連日気が滅入るようなニュースが続きましたね。
なかでも、教育勅語を斉唱させられている幼稚園児の姿には、驚きました。千夏さんのいう「大日本帝国への回帰」を願う人達が、遠慮なしにふるまうようになった。日本だけじゃなく、海外でも右傾化する国がどんどん増えて、いったい人類社会はどうなることかって思います。

日本がなんでこうなっちゃったのか、というところで、福沢諭吉が登場! 私は、学生時代に『福翁自伝』を読んで、教科書で習った「民主主義の先駆者」的なイメージとずいぶん違っていることに仰天し、あまりいい印象をもたずにきたのですが、今回、改めて諭吉の著書をいろいろ読んでみました、もちろん「青空文庫」で(;^ω^) いろんな意味で、面白かったです。
まず、時代背景から。『学問のすすめ』が刊行され始めたのは明治5年。その前年の明治4年に、廃藩置県がおこなわれ、新政府の体制が発表され、中央集権国家の形ができました。同年、散髪・廃刀が許可され、士農工商の身分制が廃止されて四民平等政策がとられ、全国民に苗字を認め、戸籍法が制定され、穢多・非人の称が廃止されました。やっと江戸時代に終止符が打たれたわけですね。同時に、幕末に結んだ不平等条約を改正しないと、欧米の植民地になってしまうという大変な危機感の下、独立国家を目指して懸命だった時代です。
江戸時代には、武士の子は武士に、農民の子は農民に、商人の子は商人になるのが当然であって、基本的にそれ以外の選択肢はありませんでした。そこに、“学問を身につければ、誰だって世の中の重鎮にも金持ちにもなれる、国家を担うこともできる、だからしっかり学問せい”と檄を飛ばした。それは、当時の庶民にとっては、希望の預言にも思えたかもしれない。だから、『学問のすすめ』は340万部という超ベストセラーになった。
〜というのが、まぁ従来の教科書的な説明です。

ただ、どうも腑に落ちないのです。『学問のすすめ』では、学問をすれば立身出世も夢ではない、世の中に役立つ実学に励め、とハッパをかけておきながら、『福翁自伝』には、真逆と思えることが書いているのです。つまり、江戸では幕府も諸大名も西洋の情報が欲しいので、翻訳できる者は引く手あまた、学問は生計を立てる道に近い。ところが大坂は町人の世界なので、学問は金儲けにも名誉にも繋がらない。ただ学問が面白いからやっているという気概に満ちているから、江戸より大坂の書生の方が優秀だった、と。さらに、ただ本ばかり読んでいるのはいちばん良くないけれど、どうしたら立身出世や金儲けができるかなどというようなことを考えてあくせく学問するようでは、真の勉強はできない、というんです。
え〜〜??どっちやねん!と思い悩んだ末、なんとなくそのカラクリが見えた気がしました。つまり、こういうことかと。

江戸時代には、諭吉が通った緒方洪庵の適塾や吉田松陰の松下村塾など、個々人の個性を尊重し活かす優れた教育システムをもつ私塾が数多く営まれ、多くの逸材を輩出しました。伊藤博文、山形有朋、木戸孝允など、明治時代を創り牽引した秀才たちは、こういう私塾で育ち、その教育システムが効果的だったことを知っていたはずです。にもかかわらず、彼らが築いた明治政府は、国家にとって有益かつ扱いやすい人材育成を目的とし、型にはめこむ式の教育を押しつけてきた。
つまり、これからは自分達みたいな国家体制をくつがえすほどの傑物は、もう必要ない。いや、出てきたら困る。ただ、西洋国家に文明国家として認めてもらうため、また富国強兵策を遂行するために、国民が無知蒙昧では役に立たないから、義務教育は進めた。でもそれは、個人の自立や幸福のための教育では、決してなかったのです。
諭吉も同様で、『福翁自伝』に書いたのは自分達エリートにとっての学問であり、『学問のすすめ』に書いたのは、愚民のためのガクモン、政府が扱いやすい従順な人間になるためのガクモンだった、ということです。この二面性、二枚の舌の使い分けが、諭吉なんですね。

『学問のすすめ』は、冒頭の有名なセリフのせいで平等主義を説いている印象をもたれるけれど、諭吉の主張はむしろその逆で、「四民平等とは言うけれど、現実的には人間にはそれぞれ身分があるのだから、それぞれ分相応に学問せよ」であり、それよって国家の独立と利益を獲得せよということなのです。また、「愚民は道理で支配できないから、政府が過酷になるのだ。愚民は力づくで脅して言うことを聞かせるしかない(それが嫌なら学問せよ)」とも書いています。この考え方の延長にあるのが、朝鮮侵略積極策ですね。
ことほど左様に、諭吉が近代的・進歩的な思想を日本に紹介した功績は確かに大きいのでしょうが、その一方で、この人のどこが「民主主義の先駆者」なの?と首をかしげたくなるような言説も少なくありません。諭吉は、在野を貫き官尊民卑を批判し続けていますが、心情的には急進的な民本主義者達よりも政府側に近い考えだと、自ら明言しています。民主主義とか人権について、知識としては知っていても、おなかの底から共感していたわけではなく、うまく使い分けていたように見受けます。だから、千夏さんの言う通り、こういう諭吉を「民主主義の先駆者」という面だけで持ち上げてきた戦後の人達の方に問題があったと思います

2013年の国会の施政方針演説で、安倍首相が『学問のすすめ』の文言を引用しています。その一つは、「一身独立して一国独立する」(サコ意訳:国民一人ひとりが頑張らないと、“強い日本”はできないよ)。もう一つは「苦楽を与にするに若かざるなり」(サコ意訳:いま国が直面している困難を、国民みんなで共有してね)。
この使われ方を見て、『学問のすすめ』が民主主義の啓蒙書であるという一面的な評価は、やっぱり修正すべきだと思いました。そして、こういう権力者達に騙されない判断力を培うために学問が必要なのであって、だから教育に権力が介入してはいけないのである。そう思って、諭吉は私塾の伝統を重んじて慶應義塾大学を創設した。いまの日本では、権力にすり寄る教育をする小学校を創ろうとする人々がいる。明治時代に逆戻りっていう意味が、諭吉を通じてよく見えてきた気がします。