第288回 よいお年を!

佐古和枝(在日山陰人)

アメリカ合衆国は、ヨーロッパから新天地を求めて移住した人々が作った国だから、最初から「われわれ」の国、「われわれ」のための政治なのでしょうね。それに比べて日本は、すでにこの島にいた人々のなかの、力をもった人々が作ってきた国であり、しもじもの者は「外野席の観客」という時代が長かったから、「われわれ」意識が希薄なのだと思います。
幕末の動乱の時期、長崎にいたオランダ人が町民に、「幕府が倒れ、国の形がガラリと変わるかもしれない。おまえ達も大変だなぁ」と言ったら、「おサムライさん達がどうなろうと、ワレワレには関係ありません」と平然としているので驚いたという話があります。今も昔も変わりませんね(笑)。

さて、ついこの間、お正月をした気がするのに、もう2016年も終わりです。今年は、われら「おんな組いのち」にも縁の深い永六輔さんと、私事ですが妻木晩田遺跡の保存運動でお世話になった坪井清足先生がご逝去なさり、忘れられない年になりました。大好きな方達にもう会えないのは、もちろん寂しく悲しいことですが、逝ってしまわれたことにより、その方の存在が自分の中により深く刻まれるっていうのは、ありだなぁと実感しています。

このように、死者を悼み、墓に埋葬するというのは、人類特有の行為です。人類は、いまから4〜5万年前、ネアンデルタール人の頃から、人を埋葬するようになったと考えられています。つまり、それまでは、他の動物と同様に、家族や仲間であっても、命を終えた遺体は物体でしかなく、そのまま朽ちるに任せていた。そう思うと、お墓を造って埋葬しようと思ったというのは、大変なイノベーション。人類が「人間」になる大きな第一歩だったと思います。

思想家の内田樹さんによると、人類は「生体」と「死体」の間に「死者」という第3の概念を造った。死んだらもういない存在であるはずなのに、「死んでいる」=死んで「いる」というのが「死者」なのだと(『死と身体』)。
だとすると、お墓とは、死んだけれどもそこにいると思わせてくれる場、死者とコミュニケーションする場なんですね。東北の縄文人は、ものすごい労力をかけて、大規模な環状列石と呼ばれる共同墓地を造りました。死者を丁重に埋葬し、時々お墓まいりをし、死者のことを思い出し、語りあい、なつかしみ、これからのことを考える。そう考えると、縄文人にとって、墓地=祭りの場であり、それが集落の中心となるほど大切な場所だったということも、理解できる気がしませんか?

こうして人類は、会えない人や見えない何者かとコミュニケーションするという能力や習慣を獲得した。抽象的なことを考える力、見えないものを思い描く想像力も、そこから始まった。そうして神話が生まれ、宇宙の原理が物語られるようになった。見えないものへの畏敬の念、見えないものを物語る力って、大切だと思います。
新年特別企画の神武伝承も、この延長線にある話です。古代人たちが、どんな物語を語ったか。それを後世の者たちがどのように受け止め、政治的に利用したか。いろいろ話が膨らみそうです。お楽しみに。
では、みなさま、よいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。