第245回 アイヌと考古学

中山千夏(在日伊豆半島人)

おおお、イランカラプテかあ。いい音。 ちょっと調べたところ、最近、行政ぐるみの観光キャンペーンに盛んに使われだしたみたいね。
「民学官連携の緩やかなプラットフォーム」を唱う〔「イランカラプテ」キャンペーン推進協議会〕http://www.irankarapte.com/information/index.html が設置されていて、サポーター企業のリストもある。
もしかすると、日本考古学会伊達大会も、その動きの一端かしら?
アイヌと「学官」との複雑で不幸な関係を、ちょっぴり見ている私としては、このキャンペーンにもついかすかな危惧を抱いてしまうのでしたが(^_^;)。
キャンペーン推進協議会の構成団体14のうち、アイヌ自身は「社団法人北海道アイヌ協会」ひとつ。
以下、私流解説で。

この協会は1930年、北海道のアイヌたちがその窮状改善策を当局に掛け合うために設立した。46年には社団法人になったが、61年、名称を「ウタリ協会」に変更した。ウタリは概ね「同胞」のことだ。アイヌという言葉そのものが強い差別性を含んでいたため、団体内外から変更の声が高まった、と聞く。
自称による民族名は「人(ひと)」を意味することが多い。アイヌの本来の意味も人であり、なんら差別的な意味はない。
まず和人(ワジン)による強烈なアイヌ民族差別があって、アイヌが差別語になってしまった。チョーセンという民族名が負わされたのと同じ歴史だ。民族名ではないけれど、オンナという言葉も同じ歴史をたどってきた。

09年、再度、改名。旧名「アイヌ協会」を名乗るようになった。自身の正しい民族名を公言することによって、差別を跳ね返すだけの力が、アイヌについたからだろう。「アイヌでなにが悪い!」のココロなり。
オンナもやはり、性差別を跳ね返す力を我々が得た段階で、私たち自身が自称することで、蔑称から抜けだしている。
「わたしゃオンナだ、なにが悪い!」
「おれはチョーセンだ、それがなにか?」
最初はね、知り合ったアイヌ個人や、彼らが独自に作っているアイヌ団体と、このアイヌ協会との関係が、なんかややこしくてよくわからなかった。
でも、こう考えたらすっきりしたの。

アイヌを(国土を持たない)国だとするなら、アイヌ協会はその政府みたいなもの。
ところで日本人だってみんながみんな、日本政府と一体ではないでしょ。政府の政策に反対だったり、時に激しく抗議行動を起こしたり、運動体を作って反政府の政治運動や市民運動をしたりする。
それと同じで、アイヌ個々人も、アイヌ協会との関係にさまざまなスタンスがあり、それを行動する者もあるわけよ。
その意味で、アイヌ協会は決してアイヌすべてを常に代表してはいない。
けれども、すべからく政府というものは、政府間外交でことを決めるのが常識になっている。私流に言うとボス交が好きなのね。
だから日本政府は、アイヌ政策に関してはアイヌ協会をアイヌ政府みたいにして交渉するわけ。そこには、あらゆる政府関係にある問題が、当然、生じる。
しかも、強大(日本政府)と弱小(アイヌ協会)、本質的に占領側(日本政府)と非占領側(アイヌ協会)の関係だもの。それがどんな事態を生じるかは、世界中のそうした政府関係を見れば明らかよ。

そこで杞憂が生まれるわけ。
イランカラプテ・キャンペーンは、アイヌに益するアイヌ文化広報になるだろうか? 強い政府に都合のいいアイヌ文化利用に終始しやしないだろうか? と。
なにしろアイヌを無視したアイヌ文化の利用は、日本の「学官」に根強いものね。
「民」もそれにならって、北海道観光ではアイヌの祭りを見物しアイヌ工芸をお土産に、♪イ〜ヨマンテ〜燃えろかがりび〜♪と合唱し(古くて面目ない(^_^;)、「イヨマンテの夜」我が師・菊田一夫の作詞)、それでいて「アイヌなんてもういないんでしょ」なんて言ったりして。

古来、アイヌ研究者の多くは、アイヌからの批判を免れない研究の仕方をしてきた。つまり、アイヌを人としてではなく、研究対象として扱ってきた。
なかでも考古学は今、ホットだよね。
学者が「採集」し「標本」として大学に保管してきた「人骨」の返還を、アイヌたちがせまっている。
「盗掘」された先祖の「遺骨」だ、自分たちで再埋葬供養するから返せ、まずは保管の実態を開示せよ、と。 いや盗掘はなかった、完全な保管状況は調査をしてから、などという大学側、研究者側、国側の言い分は、いかにも苦しい。とにかくいくつかの大学に、考古学の徒が収集した大量のアイヌの遺骨が収蔵されているのは事実だ。
天皇陵を公式には発掘できていない一方でのこの事実は、学問の場にもかかわらず、ホネになっても尊卑を差別する非科学がたっぷりある現実を、あからさまに照らしだしている。

余談だけど、人権に疎い非平等時代の研究者に、悪気はほとんどなかった、と私は思うの。
だってね、和人学者による盗掘の証拠として知った一冊の発掘記録があるんだけど、それを書いた学者は、私もサコちゃんも大好きなジェントルマン研究者のお父さんなのよ(^_^;) 
これ知った時には焦った。読んでみて考え込んだ。アイヌが怒るのはもっともな内容なんだもの。
でも、あのステキな先生を育てた父親が、そんなにひどい人のわけはない! やはりジェントルマンだったに違いない! きっとステキな紳士だったのだ、ただ、時代なんだな、時代を先取りした人権感覚を持っていなかっただけなんだな、と思ったわけよ。

それはともかく、遺骨問題を少々知る私は、サコちゃんのレポートで、考古学協会伊達大会「記念講演」のひとつに〔北海道アイヌ協会の副理事長、阿部ユポさんの迫力あるお話〕があったと読んで、感動しきりでした。
私はユポさんを知らないけれど…なにしろ国家みんな嫌い、政府ぜんぶ疑う、の私なので、アイヌとの交流も民間レベル、市民運動レベルばかり…ユポさんが私の知るアイヌと同志であるなら、そのお話は、相当に「ズシン」であったに違いない、それにしても、アイヌ政府の代表者の講演をそうそうたる考古学者たちが聞いたのだ、キャンペーンも無駄ではないかも、などと思いました。
そして、これを「明日は忘れるお役所行事」に終わらせてはもったいない、先住民族アイヌを中心にした考古学への扉とし、現存するアイヌに配慮した研究姿勢の強化へとつなげること、その応援をしていこう、と考古学ファンの私としては、大いに張り切ったわけでした。サコせんせ、頼んだぜイ!

ところで、ボニンアイランズこと小笠原から戻ってほどなく、またもや南の国、沖縄へ行ってきました。
その話もしたかったんだけど、長くなっちゃったから、次回にするね。

あんしぇー、またやーさい(^w^)