第244回 北の島から

佐古和枝(在日山陰人)

千夏さんは日本の南端、ボニン島へ。その楽しげな南島の夏祭りの報告を読んですぐ、サコは2週続きで、日本の北端、北海道へ行ってきました。両方を見比べて、日本は広いなぁ〜と思います。

最初の北海道行きは、北海道伊達市で開催された日本考古学協会伊達大会に出席するため。8年ぶりの北海道でした。日本考古学協会の大会は、各地の大学で開催されるのですが、伊達市には、大学はありません。でも、「学会支援ボランティア」という市民団体があって、市民の皆さんが実行委員会を組織して開催されました。伊達市は、こういう形で全国規模の学会を誘致しているのだと、市長さんも熱くPR。人口2万7000人という小さな都市ですが、会場となった「だて歴史の森カルチャーセンター」はなかなか立派な施設です。

だて歴史の杜

伊達紋別の駅から会場までの道中、昼食のために入ったレストランやホテルの入口に、「歓迎 日本考古学協会伊達大会」という張り紙と立派な大会のポスターが貼られていて、地元をあげて迎えてくれているようで、嬉しくなりました。会場の一角では、和服姿の女性達がお抹茶のサービスをしてくれたり、懇親会も地元の若者達がヨサコイ・ソーラン節で賑やかに盛り上げてくれました。いつものソッケない学会とは違い、市民ならではのおもてなしで、とても楽しく和やかな雰囲気。伊達市の好感度がググッとアップした2日間でした。
まちおこしのアイデアとして、おもしろいですよね。ただ全国規模の学会を誘致するなら、もう少し大きなホテルが必要かなと。今後の展開が楽しみです。

抹茶席

2度めの北海道は、函館から江差、小樽、江別、千歳の遺跡をめぐる。道南の渡島半島にエリアを絞ったつもりだったのに、「あなた、距離感がまったくわかってないよね」と、小樽で考古学の仕事をする友人が呆れながら同行してくれました。地図で測ってみると、今回の総移動距離は約385km。東京から仙台までが370kmだから、確かにずいぶん走りました。 北海道って、九州の2倍の広さがある。その大きさがなかなかピンとこないですね(^_^;)
この道南地方は、縄文時代には東北北部と同じ文化圏を形成しています。津軽海峡で隔てられているとはいえ、もっとも近いところは20km足らず。下北半島がすぐ近くに見えています。潮の流れはちょっと速いけど、縄文人たちは果敢に丸木舟で往来していたんですね。
縄文遺跡といえば、青森県の三内丸山遺跡が有名ですが、道南の縄文遺跡は、どれもこれも規模が大きく、出土遺物も膨大で、三内丸山遺跡級がフツーに思えるほど。おそるべし、北海道の縄文人!

函館空港は縄文遺跡だらけ

空港ビル2Fに展示ギャラリーがあります

江差の隣の上の国町「勝山館」は、港を見下ろす山の上に築かれた、中世和人の最北端の砦です。「ここから北はアイヌの世界だからね。その緊張感は、そうとうなものだったと思うよ」と小樽の友人。でも、和人進出の目的はアイヌの人達との交易なので、敵対ばかりしていては目的を果たせないわけで、なんとかうまくおつきあいをしようという努力が基本。勝山館は、土塁と柵で囲まれた街並みが復元されていますが、このなかにはアイヌの人達も暮らしていたことが発掘調査で確認されています。江差は、ご存じのとおり、ニシン漁で賑わった町。ニシン御殿ともいわれる豪商のお屋敷があちこちに残っており、その隆盛ぶりがしのばれます。

上の国町 勝山館 復元ジオラマ

上の国町 勝山館 現地から寿都湾を望む

「ここらは、やっぱり江戸なんだよなぁ」と小樽の友人。つまり、本土の風が吹いている。彼の本拠地とは別世界だと感じるそうです。決してひとくくりにはできない北海道。それは、ただ広いというだけでなく、和人の足跡の有無と大きく関わっている。ここでは、和人こそヨソ者。ここは確かにアイヌの人達の島だった。
日本考古学協会伊達大会の記念講演の1つは、北海道アイヌ協会の副理事長、阿部ユポさんの迫力あるお話でした。世界考古学会議の倫理綱領では、ちゃんと先住民族に対する配慮の規定がある。日本考古学協会でもぜひ検討してください」と、やんわりズシンと響く一言。迂闊でした。ぜひ、ですね。
アイヌの人達のことは千夏さんが詳しいので、いまさら何をって言われるかもしれませんが、今回初めて知ったこと、「イランカラプテ」アイヌ語で「こんにちは」。「イランカラプテ」を広めようというポスターをみて、はっとしました。ニイハオもアンニョンハセヨもグーテンタークもボンジュールも知っているのに、「イランカラプテ」は知らなかった。広めましょう。広めなきゃ・・・と思ったサコでした。