第243回 女の祭りオハナ

中山千夏(在日伊豆半島人)

三日三晩も考えたの? ごめんね、そんな話振って。
実は私も一昨日の夜、考えごとに睡眠を妨げられました。最近はとんとないことだったんですが。
きっかけは「早くサコちゃんにボニンの報告しなきゃ」だったの。それから、おんな組のこと、原発のこと、安倍暴力内閣のこと、などなど芋づる式に、どうしたもんか、と考えちゃって。といってもモンモンは二時間ほどでしたけどね。

そうしたら(って関係ないけど)明けて27日、木曽の御嶽山が噴火したというではないですか。映像を見ましたが、地球は生きている、としみじみ畏怖を感じました。
今朝28日の朝刊によると、被害者も10人を超え、30人超すかもしれないとか。

ますますボニン報告の世情ではないですねえ。
でもでも、あえてやっちゃいます! 今年のは特に元気が出る話だと思うので。
元気つけて生き抜かニャアニャア!

それではいざ、ボニンアイランズ(小笠原諸島)父島での、ステキな夏祭り「オハナ」をご紹介!

オハナはハワイ語で(血縁のない)家族のことですって。ハワイ暮らしでフラに魅せられた一島民が、父島にフラを持ち込んで十六年、フラはすっかり島独自の民俗芸能となった。


これがボニンのフラを始めたひと、マナミちゃん。
生物学者で民宿のおばちゃん、漁師のカミさん。

父島で女たちがひまひまにフラ教室を始めたのは1998年。愛好者は激増し、その8月には集ってショウを開いた。これが第一回オハナ。以来、年々、盛んになりながら毎年開かれてきた。
観光客目当てではない。
発表会でもない。
純粋に島民による島民が楽しむための夏祭り。本当の村祭りだ。
祭りは一種のブームだが、今やしんから村人の自主自治による村人のための祭りが、日本にいくつあるだろう?
それが和風手踊りではなく、フラであることにも、歴史と風土に密着した道理がある。

世界遺産になってから観光客が増えた。一時ほどではないが、多い。ダイブや釣りのリピーターも絶えない。
しかし彼らの大半は、島を初めて訪れた時の私同様、島のことを何も知らない。

地理的にミクロネシアの島々が近いこと。
無人島の古くから、ボニンアイランズとして、欧米の捕鯨船にとって重要な寄港地だったこと。
先住民は数人の西洋人と10人を越すハワイなどの原住民であったこと。
現在も、島の旧家は彼らの一族であること。
日本政府による和人の入植は明治初期からだったこと。
第二次世界大戦前は硫黄島を含む諸島に2万人もが住んでいたこと。
悲惨な硫黄島の戦闘では、100人近い若い一般島民が、軍の命令で犠牲になったこと。
敗戦後、沖縄同様、連合軍(実質は米軍)に占領統治され、1968年にやっと返還されたこと。
しかし、自衛隊基地となった硫黄島や、父島・母島以外の島には、元島民も今なお住めないこと。
現在、父島と母島の2000人余の島民は、その多くが島のミクロネシア的な風土に魅せられて、移住してきたひとたちであること。
などなど、などなど。
この風土と歴史を知ると、ボニンのフラは必然だと言える。


オハナ本番が一週間に迫ると、自主トレに拍車がかかる。ちびたちも真剣だ。


衣装もなにもかも自分たちの手で。集まってレイを作る少女たち。
先輩の女たちから後輩へ、知識や技術が伝わっていく。

オハナは新しい女の祭りだ。
女が表舞台に立つ祭りが、日本にいくつあるだろう。
ここには、女の給仕を当然と心得、伝統を振りかざして威張る男ボスはいない。不合理な習慣を若い女に押し付けて溜飲を下げる女ボスもいない。てきぱきとよく動く女たちの見事な協働があるだけだ。


当日の朝。設営もみんな自分たちの手で。ショウビジネスのプロはいない。


昼前にスコールが。天候の変化はお手の物。ゆうゆう対処して昼ごはんに


幕開きは5時だけどw
内地で働いたり学校へ行ったりしている若者も、オハナ目指して戻ってくる。


ちびっこウクレレ隊リハーサル、大きな先輩がお世話する。


踊り手の層は厚い。
よちよち小学生、ピチピチ中高校生、花のお姉さんグループ、そして……


最年長クラス「世界遺産シスターズ」! 
中央は現役のスーパー店員、84歳。
その右後お土産屋経営のウタちゃん、
その右前、民宿経営のモリキさんほかは、私と同年代。


屋台も出る。もちろんプロのテキヤさんはいない


午後5時、役場から流れ出す「レモン林」(小笠原民謡)のチャイムを合図に、開幕!
踊り手の正面は山、背後はアオウミガメが産卵にくる砂浜と海。
すっかり暗くなる8時半まで、島人はたっぷりボニンのフラを楽しんだ

私も参加。自作の「ボニンアイランズ」(作曲・小室等)ほかを島民といっしょにバックで歌った。何年か前に作ったんだけど、以来、フラでずっと少女たちが踊ってくれている。
そう、ボニンのフラは、オリジナル曲が多いのだ。島民の作詞作曲には、とてもいい歌がたくさんある。
かくして私も準島民として大いに楽しんだわけでした。

ところで、この写真、どおお?

島の目抜き通りよ。最近、島でご披露会があったそうで。自衛隊が購入したとかするとかの一機らしい。
仲良しの酒場の亭主は、「ウェルカムと言ってるのはココぐらいだろ」と笑った。看板にもあるように、急患搬送が島民の大きな期待。今も急患搬送には、自衛隊の水上飛行機を頼っている。
「音もすごく静かだしさ、いいよあれ」。落ちないか、と言ったら、「だいじょぶ、何度も落ちてるからもう落ちないよ」。この神経。オスプレイに輪をかけて大丈夫みたい。
「ココから戦争に飛ぶのはダメ、ぜったいダメだけどさ。搬送用になら欲しいわよ」とは仲良しの民宿経営者。夫の兄を硫黄島の戦闘で失っている。16歳だった。姑から聞いたその話をするたびに彼女は泣く。会ったこともない夫の兄のために泣く。


おがさわら丸での私の寝床。

客船おがさわら丸は片道25時間かかる。とんぼ返りで往復することは、ほとんどない。

それを楽しんでいるのは、私がたまの訪問者だからだろうね。
急患搬送と災害支援だけやってくれるなら、誰だって自衛隊もオスプレイもウェルカム、ウェルカムだよ、ね?!


小笠原固有種・天然記念物アカガシラカラスバト。島民ウォーリーの庭で。