第238回 シロウト歴史学の強味と醍醐味

佐古和枝(在日山陰人)

千夏流「シロウト歴史学三原則!」おおおぉ〜! でも、果敢に自説を展開してこられた千夏さんが、なんだか急に守りの戦法にシフト替えの気配。う〜む、困った。。。

まず、原則A「歴史認識の道具には、考古学(事物研究)を主として、文献学(情報研究)は補助とする。」について。
千夏さんは、文献資料には人間に起因するフィルターがかかることを警戒しておられるようですが、考古資料もまた、それを解釈する考古学者というフィルターがかかっているのです。邪馬台国論争でもわかるように、発掘から得られた“事実”に対して、解釈が北と南ほど異なることは、文献史学より考古学の世界の方が多いんじゃないかな。

ここで、考古学と文献史学の関係について、ひとこと。
考古資料は、モノ言わぬモノ(物質資料)なものですから、ウソはつかないけれども、言葉でしかわからないことは教えてくれません。たとえば平安京をいくら発掘しても、そこに「紫式部」という女房がいて、『源氏物語』という傑出した恋愛小説を書いた、なんてこと、わかりません。また日本列島のどこかに「倭の女王卑弥呼」がいて、「景初三年(239年)」に「魏の皇帝に使者を派遣した」などということも、わかりません。固有名詞や地名、年号、政治外交上の事件、思想、政治・経済の仕組みなど、モノとして残らないことは、文献資料が頼りです。

その反対に、文献ではわからないことが、考古資料でわかることも多々あります。記録とは、「これは書き残しておこう」と思われた特別なことが中心となるので、たとえば庶民の生活ぶりなど日常的なこと、当たり前のことが案外わからない。でも遺跡を発掘すれば、人々の日々の生活ぶりがわかります。また文献は、書く人も書かれる人もオトコ中心ですが、考古学は老若男女の区別なく、そこで生きた人達の姿をそのまま伝えてくれます。文献は、どうしても政治経済の中心地が舞台となることが多いのですが、遺跡はたいていの地方にあるので、地域史の復元に欠かせません。道具や技術についても、文献史学では言葉としてわかるだけですが、考古学はモノで具体的に知ることができます。

このように、文献史学と考古学はそれぞれ得手不得手があって、それを互いに補完しあっています。裁判にたとえると、文献は証言、考古資料は物的証拠です。証言は、モノではわからないことを言葉で伝えてくれる。物証は、証言の真偽を教えてくれる。どちらか一方が欠けては、事件の真相を解明することは難しいですよね。どっちが主でどっちが従ということではなく、車の両輪のように両方とも同等に大切です。両方ともに、問題は資料の質にあるのではなく、それを解釈する専門家(人間)の側にあるのでした。

過去に何が起きたのかを知る手がかりは、証言(文献資料)と物証(考古資料)。でも、つい最近起きた事件でも、目撃者も物証もなくて真相がわからないことが多いでしょう。まして何百年何千年も昔のこと、目撃者は生存せず物証もほとんど散逸消滅しているのだから、簡単にわかるはずがない(^_^;) 歴史って、圧倒的に欠けているピースが多いジグゾーパズルのようなものであり、ピースの欠けた部分は解釈(推論)で補うしかありません。だから、専門家でも解釈がバラバラになる。しかも、正解は永遠に教えてもらえない。いやはや。。。

専門家はそれが好きでやってるのだからいいのでしょうが、シロウトとしては「いったい、どの説がホントなの?」と言いたくなりますよね。だったら、自分で確かめよう!
「そんなこと言われても、専門知識がないから、誰の説が正しいのかなんて判断できませんよぉ〜」と、うち(外国語大学)の学生たちは悲鳴をあげます。いえいえ、なにを言う! 世の中は、自分の専門分野以外のことだらけ。原発や地震の安全性、政治や経済、IT、国際情勢など、自分に専門知識がなくても専門家たちの言い分を聞きながら、自分で判断して生きていかなきゃいけないのだから、ここでシロウトだからと判断を放棄してはいけないのだ!

何度も書いたように、歴史の真相なんて、永遠にわからないことが圧倒的に多い。専門家といえども、できることは、解釈の妥当性を高めることでしかないんです。わからないことだらけという点で、プロもシロウトも50歩100歩だと、強気でいきましょう。シロウトには、シロウトなりの攻略法があるはずです。


では、シロウト歴史学徒は、どうすればいいのか。
シロウトとプロの違いは何かといえば、原資料を自力で収集・分析解読できるかどうか。そのために必要なトレーニングは、考古学なら遺跡の発掘や遺物の実測など、文献史学では古文書や木簡、金石文など過去の人々が残した文字・文章(活字になる前のホンモノ)の読解です。ま、それがあってのプロですから、ややこしいことはプロに任せましょう。ちなみに、古代人の文字が読めないサコは、文献史学ではシロウトです
プロの研究対象は原資料ですが、われわれシロウトの研究対象は、原資料からプロが導きだした解釈(著書、論文などの著作物)です。人間が書いたものには必ず書いた人というフィルターがかかるという点は、文献資料も現代の著作物も同じであり、そこから“信頼できそうな事柄”を見抜く方法も、同じです。

(1)筆者の素性を確かめる
まず、それを書いた人がどういう人なのかを確かめる。これは、どんな本を読む時にも大切なことです。『神皇正統記』を書いた北畠親房は、南朝の正統性を主張するためにこの本を書いた。親房の思惑を知らずに読むと、間違った受け止め方をしてしまいます。『古事記』や『日本書紀』も、同様です。岡田先生はこの原則を徹底させることで、陳寿の書いた『魏志』倭人伝や、金富軾の書いた朝鮮の『三国史記』のウソを明快に暴いてみせてくれたのでした。
シロウト歴史学でいえば、たとえば『日本の食文化の歴史』という本があったとします。それを書いたのが、料理の専門家なのか歴史の専門家なのかによって、信頼できる部分とそうでない部分の見分けがつきます。岡田先生は中国史が専門だから、漢字漢文・アジア史については信頼していいのだろうけど、日本史は専門外だから日本史に関する解釈は日本史の専門家の意見で確かめた方がよさそうだ(失礼!)とかね。ゆめゆめ情報発信者の素性がわからないネット情報なんぞ、断じて鵜呑みにしてはいけませんぞ。

(2)クロスチェック
専門家は、ある文献に書かれたことがホントかどうか、必ず別の文献でクロスチェックします。「史料批判」という文献史学の基本中の基本です。事件モノのドラマでも、証言者が一人しかない場合、必ず「ウラ(裏付け)をとれ」と言いますよね。それと同じ。複数の文献に同じことが書いてあったら、とりあえず歴史的事実として受け止める。そうして、過去の人々が書き残した金石混淆の情報から信頼できそうな部分を抽出し、それらを繋いで「なにが起きたか」を解釈(推論)します。
シロウトのわれわれは、その専門家の解釈がホントかどうか、他の専門家の本を読んでクロスチェックします。自分で判断がつかないことは、複数の専門家が同じように書いていたら信頼していいのかなと、ひとまず受け入れる(あくまでも、ひとまず、です)。
少なくとも歴史オタクを自認するシロウトは、ゆめゆめたった一人の歴史学者の本を読んで、「あぁ、そうなんだ」とわかった気になってはイケマセン。他の専門家の意見も聞きましょう。

ここは、選挙を前に、誰に投票しようかと立候補者の言い分を吟味する有権者になったつもりで、諸説を比較検討してください。学生のレポートを採点する教員になったつもり、原告と被告の言い分をきく裁判長になったつもり、弁論大会の審査員になったつもりでもいいですよ。どんな分野であれ、プロの仕事は、最終的にはシロウトのみなさんに支持してもらってナンボのもんですから、評価を下すのはシロウトさんなのです。それに、シロウト歴史学のめざすところは、学界がどう言おうが、自分に納得できる"歴史解釈"をみつけれることですよね。ここが、シロウト歴史学の醍醐味のひとつじゃないかなと思います。

(3)実証性・論理性・整合性
さて、ここから先は、もう一歩踏み込んだプロの解釈の妥当性についての確かめ方です。
まず、プロが提示した解釈の「根拠の確からしさ(実証性)」を確かめます。なぜ邪馬台国は大和だといえるのか。なぜ『古事記』は712年に完成したと言えるのか。なぜ「大化の改新」はなかったと言えるのか。その根拠は何なのかということを、しつこく確認する。眼のつけどころは、反対の説を主張する専門家の本を読んだら、おおよそわかります。
たとえば10年ほど前、「弥生時代初期の土器に付着した炭素を分析したら、弥生時代の始まりが500年古くなった」と、ある研究チームが発表しました。その時点で、そういう分析結果を出したのは、そのチームだけでした。それにマスコミが飛びついて大きく報道され、学界や教育現場は一時とても混乱しました。しかし、科学的分析は、まったく別の複数の研究者がおこなって同じデータがでることが検証されなくては信頼できません。これは、一般常識。最近も、そんな出来事がありましたよね。つまり、「弥生時代の始まりが500年遡る」という解釈の根拠はいまだに不十分、評価は保留状態です。

ときに、「根拠の確からしさ」が充分に担保できていないのに、多くの研究者や世間、マスコミの支持を得て、「通説」として流布することがあります。箸墓古墳が卑弥呼の墓だとか、ね(^_^;)
「学界の通説」とか「根拠」とされることが、実は思い込みだったり、未検証だったり、事実誤認だったり、時代遅れの情報だったり、共同幻想だったってことがあるんです。そんなことを発見したら、開催の叫びをあげて小踊りしますよね。ぜひ、探してみてください。ゆめゆめ、「通説」とかエライ先生だからとかで盲信してはイケマセン。そこは、千夏さんの言う通り!

そして次に、その根拠から解釈を導く説明(論理性)に矛盾はないか、です。たとえば、卑弥呼は3世紀の中頃に死んだと卑弥呼の墓は3世紀中頃に日本列島最大規模の墓である。。。。これは、論理に飛躍がありますね。卑弥呼は、『魏志』倭人伝に書かれた「倭」のなかでは最高支配者だったけれど、その「倭」とは日本列島全体をさすものではありません。そのことは、倭人伝という文献について、ちゃんとおベンキョーしていれば、シロウトでもわかるはず。そんなムチャな解釈をするのは誰かと情報発信源を確かめると、考古学者、そして邪馬台国大和説支持者です。フィルターかかってますよね(^_^;)

そして最終的な決め手は、その問題をとりまく諸々の事柄、当時の社会、歴史の流れのなかでの整合性、つまり「どんなふうに考えたら(解釈したら)、いろんなことがいちばんうまく説明できるか」です。
たとえば、先に挙げた弥生時代の始まりについて、500年古くなった場合に、これまでの考古学研究が積み上げてきた土器編年などの成果や、列島および東アジア全体の歴史の流れと、ちゃんと整合性がつくのかどうかも、未検証なまま発表されました。それでは、まだ信用できないですよね。
また、邪馬台国の所在地論争には、『魏志』倭人伝の解釈や東アジア情勢、鏡、墓、年代論など多岐にわたる論点があって、専門家といえどもすべてを自力で検証できている人は稀です。しかし、個々の成果をトータルしてみた場合、卑弥呼の居場所(邪馬台国ではなく)は大和より北部九州とみる方が、いろんなことがうまく説明できると思うので、サコは「卑弥呼は北部九州にいた」説に1票!です。

「根拠の確からしさ」については、専門知識がないと判断がつかないこともあるかもしれません。でも、論理性や整合性という思考過程の検証なら、専門知識がなくても、人類社会が培ってきた常識的な判断と、学界の定説にまみれていない素直な感性で、そこそこ判断できるのではないでしょうか。専門家は、学説、学閥、師弟関係、内輪でしか通用しないジョーシキなどに汚染されて、自家中毒的症状に陥ることがあります。シロウトのまっさらな目やフツーの考え方が、そうした専門家の盲点をつくことがあるのです。
これぞ、千夏さんの得意技でしょう。裁判員裁判が始まったのも、そういうことですよね。シロウト歴史学徒の存在は、貴重なのです。「シロウトには手に負えない」なんて、歴史を極める楽しみを諦めないでくださ〜い!

ということで、原稿の締切を大幅に遅れるほど毎日必死こいて考えて、千夏さんの「シロウト歴史三原則」をちょいとサコ流にアレンジしてみました。

@歴史認識の材料として、考古学と文献史学の研究成果の両方に目配りし、それらを互いにクロスチェックしながら、そこにひそむ「歴史的事実」をみつける。
A考古学および文献史学の歴史的解釈は、学者研究者の研究成果を通じて学ぶのだが、学者研究者の言い分は肩書・著名度などで盲信せず、常にその解釈の妥当性(根拠の確からしさ、論理性、整合性)を、人類社会における常識的判断と学界のジョーシキに汚染されていないまっさらな感性で見極めて、自分がもっとも納得できる解釈をみつけだす。
B古事記研究および歴史研究は、プロが血道をあげて辿り着いた成果について、エラソウに評価を下すことをひそかな楽しみとし、オイシイところをつまみ食いしながら、自分なりの解釈や歴史像を構築していく道楽とする。

いかがでしょうか。