第235回 不確実な話

中山千夏(在日伊豆半島人)

ふむふむ、そうかもしれない。
私のとは違うけれど、そうだったかもしれない。
だとすると、古事記は(強引なほどの)女神崇拝朝廷のもの、日本書紀は(中国編者の影響大で?)男神崇拝朝廷のもの、という見方もできるね。おもしろいなあ。
両書とも女性天皇下での作業だったことが、どう作用したのかしなかったのか?

大海人皇子が伊勢神宮を採り入れた(サコ説)のだとすると、たまたまってことではなくて、なんかルーツがあったんじゃない?
「新機軸を打ち出す」しかも強引にそれができる朝廷の選んだのが、たまたま女神だった、というのは、どうも面白くないなあ。
日本書紀がそうであるように、アジア的に国際化しつつあった大和では、男神が人気だったろうし。
名前がそも「大海人」だもんね、アマテルと当時から(自称?)親戚だったんじゃないかしら。
古事記ではアマテルは九州生まれ、初代イワレビコ(神武天皇)も九州出身。
となると、古事記は親九州朝廷、日本書紀は親出雲朝廷の産物、とも見える。

なあんて言ってもねえ、「小笠原諸島」の小笠原という名について、命名者である明治初頭の政府が、呆れた虚偽の碑文を残している(その原因もきわめて政治がらみのもの)ことなど考えると、まあ、古事記・日本書紀の時代には、どさくさまぎれにどんな強引マイウエイがあったか、わからないとも思われるです。

うううむ、抑圧してきた気がかりが、また増大してきた。
ほかでもない、古事記と日本書紀の資料問題であります。

古事記偽書説がありますよね。これは主流ではないかもしれませんが、それも含めて、現実の歴史を考察する際、古事記の資料的価値を日本書紀より軽視するのが、研究者間の主流ですよね。それにはサコ先生が前回書いてらした「天の岩屋隠れから天孫降臨にいたるまでの『古事記』の神話は、『日本書紀』より新しい」という〔諸氏の指摘するところ〕も根拠のひとつなんだと思います。

確かに、森浩一センセのご本などから、部分的には「新しい」話がある、と私も理解していましたが、それは即、古事記と日本書紀の資料的新旧、さらには信ぴょう性に影響するものではないですよね?
8年の差なんて、実はほとんど同時代ですよね。
すると、古事記は新しい説を取り入れ、日本書紀は逆に「古風な神話」を取り入れた、と考えることもできるわけで。
用字の観点(モの書き分けが古事記にはあるなど)からは、古事記のほうが古い、とされているとも聞きますし。

それから、「日本書紀の神話」とよく一括されますけど、本文と添付資料(一書群)の関係はどう考えられているのでしょう? 
私は「日本書紀の神話」と言う時は、あくまで
本文を指します。それが日本書紀の公式見解だろうと思うので。添付資料も用語などが本文に準じて統一されているので、純粋な添付資料ではないけれど、編者にすれば、これらはあくまで参考資料のつもりだったろうと思います。

思えば偽書説が出るくらいだから、古事記にはかなり問題があるんでしょう。だいたい、原典はどのような文房具(筆?紙?木竹簡?)で書かれたかも、機会あるごとにセンセイがたに聞いているのだけれど、もっともハッキリしたお答えは「そんなことわかりませんよ」でした(笑)。
日本書紀も同じなのかしら?
書写の際の誤写率や誤写傾向なども気になるところです。きっと多大な研究があるんでしょうね?

まだまだいろいろあるでしょうが、こういう根本をはっきりさせて、古事記は偽書なのかどうか、どの程度の資料価値があるのか、その検証を確実にしなければ、本当は古事記を史書として語ることはできない…ですよね。
すべての論に「仮にこれが偽書ではないとすれば」とか「仮にこれが原典どおりであるとすれば」とかがつく状況では、その論は空想の一種になってしまう。空想は自由だけれど、空想を戦わせるとなると空しいわけで、古事記・日本書紀で歴史を語る議論は多少とも虚しくなってしまう。
私はまさにそれですが、垣間見るところ、学者研究者のお説でも、そのあたり、ゆるい、と見えることが少なくなく…。
ううむ、考古学のほうが科学的だ、といわれる所以ですね。

私はシロウトを盾に、そこはネグって言いたい放題言ってきましたが、ううううむ、もう限界かも。

もはや無視してはいられない、手始めに、偽書説の検証でもやってみますかね。
なにしろ原典がないのだから、どこまでいっても確実にはならないわけですが。
とにかく…あれれ? まず読もうと思った本の著者名と書名を失念してしまった。
亡くなった在野の研究者の出した偽書説が、一時、かなり有名になった、と覚えていたのですが…なんと、ネット検索ではまるでかからず…ああ!この私の不確実なこと…ああああん、サコどの、知ってたら教えて(><)!!