第219回 学問と常識

中山千夏(在日伊豆半島人)

わ〜い、古生物学、おもしろいよね!
最近、ちょっとご無沙汰だけど、ひところはそういう関係の本をよく読んでた。
先ごろ亡くなったアメリカのJ.グールドって学者のエッセイが面白くてね、ほとんど読んだ。
学問的にもさることながら、アメリカ人らしい庶民的なスタンスが感じよくて、ファンだったの。

しかし、おもしろい話には問題がつきもの、ね! 
グールド先生の、素人目には素晴らしい論説にも、学問的には反論がけっこうあったみたい。
私は邪馬台国論争で、その機微に触れているから、論争の動機が必ずしも学問的なものばかりとは思わないけど。
いずれにしても、一般に、学説は半分保留して受け取ることにしている。特に古代史とか古生物学とか、大半、自分で確認できない話はね。
学者のファンにはなっても信者にはならないってこと(・∀・)
これは、評論家や文化人タレントについても、同じだよ。私、話がおもしろくて、そのぶん不正確な有名人を、友人にたくさんもってるから、ははははは。

それにつけても一部の学者の実社会への関与には、目に余るものがあるね。学者も人間だから、実社会のなかでは、金力権力になびき物欲色欲で動く者が必ずいる。
さらに学者特有の問題として、実社会で実験する欲、というのがある。
そういう学者が原発や遺伝子組み換えを推進している。

彼らに間違いなく欠けているのは、無学な年寄りが持っている常識だ。
ま、常識外れの私が言うのもナンですが、私でさえ「世の中何が起こるかわからない。だから、不慮の事故があった時の被害が甚大になるようなことはしない」という常識は持っている。
それなしにやって、いざ大災害となったら、直接原因の「予測を超える大きさ」のせいにして「ボクは間違っていない」と言い張るなんて、まるで化学実験マニアの子どもだ。世の中ほとんど、人間には予測できない事で動いている、という現実を彼は知らない。

人間が引き起こしたベルリンの壁の崩壊や、ソ連の消失さえ、ほとんど誰も予知しなかったのに、自然災害を完全に予知できるわけがない。ましてやそこに実験したいがための「希望的観測」が働いているのだから、なにをかいわんや。ほんと、戦争ごっこと科学実験が好きなガキンチョほど、アブナイもんはないね。

あああ、せっかく楽しい話だったのに。
起きたとたんに目にした新聞の見出しが、フクシマの汚染水ダダ漏れ関係だったせいだ。
しかし、不愉快でも現実をちゃんと見ないとね。それがオトナってもんだからね(^^ゞ