第212回 縄文と弥生

佐古和枝(在日山陰人)

アイルランドの複雑な歴史を簡潔・明快に解説していただき、ありがとうございました。ニューグレンジと日本の古墳が似てる不思議も、共感していただけてよかった(*^。^*) 人間の始まりからの映像があれば、そりゃサコも見てみたいですが、そんなものがあったら考古学者は失業ですぅ〜(*_*) 邪馬台国と同様、解けない謎を楽しんでください。

さて、似てるといえば、青森県の三内丸山遺跡(4500年前)とわれらがムキバンダ遺跡(2000年前)。かたや日本を代表する縄文遺跡で、こっちは全国最大級の弥生遺跡。なにが似てるかって?いえ、全然似ていません(^_^;) 津軽弁と出雲弁は、どちらもズーズー弁ですが、やっぱり違う。
なんでこんな話をするかというと、実は5月2日に米子市で、青森から伊奈かっぺいさんをお招きして、「笑って考古学〜津軽弁v.s.出雲弁、三内丸山遺跡v.s.妻木晩田遺跡」というイベントを開催しました。永六輔さんもゲスト出演してくれて、抱腹絶倒のトーク・ショーでした。

かっぺいさんは、20年近く前から三内丸山遺跡とか縄文時代をネタにして、いろいろ楽しい話をしておられます。3年前に初めてお会いした時、そんな話を伺って大笑いをしました。考古学が笑いのネタになるって、あまりないことでしょう? なんだか嬉しくなって、ぜひやろうと思った企画でした。
津軽弁と出雲弁の楽しいバトルの合間に、サコが三内丸山遺跡と妻木晩田遺跡のスライドを並べて、簡単な解説をしたんです。そしたら永さんが「なにが共通してて、なにが違うの?」って質問されました。うっ!と脳ミソに電撃が走ったサコ・・・

縄文と弥生、何が大きく違うかといえば、やっぱり米と鉄でしょうね。おかげで、弥生時代には生活は便利になり豊かになった・・・はずです。でも、三内丸山遺跡と妻木晩田遺跡を並べてみて、改めてどうなんだろうと思ってしまいました。
三内丸山遺跡をはじめ縄文時代の遺跡では、弥生遺跡には滅多にないほど巨大な柱を使った大型建物があちこちにあります。石斧しかないのにね。そんな大型建物は、弥生遺跡なら「祭殿」とか「王の住まい」と大騒ぎでしょうが、縄文遺跡の大型建物は村人達がフツーに使う集会場や共同作業場です。あるいは、鉄器もないのに、石に穴をあけて直径5mmくらいの玉を作ったりしています。そんなことを思ったら、便利な道具を使わずにいろんなことができた縄文人の方が凄い!って気がしてきます。

一方、弥生時代になると、お米や鉄器が広まって、人々の生活を豊かになったはずだけど、同時にそれが奪いあいの対象になり、武器が出現し戦争が始まりました。貧富の差は顕著になり、権力者が登場。競争社会・経済優先主義となる。縄文人と弥生人、いったいどっちが幸せだったんでしょう?

そんな疑問が、いまの私達にも重なります。原発のおかげで、私達はとても便利で快適に暮らせるようになったけど、そのために巨額の利権が社会をむさぼり、放射能汚染というとてつもない危険を背負いこんでしまった。原発がなくても、満足して暮らしていた時代があったはずなのに。。。
便利さって麻薬みたいなもので、一度その味をしめたら、なかなか後戻りできないから怖いですね。トイレの蓋の開閉まで電気に頼るものかとは思うけど、千夏さんに教わって使い始めた電動歯ブラシは手放せなくなっているサコでした(._.)