第206回 衣食足りて礼節を忘れる

佐古和枝(在日山陰人)

なるほど〜 憲法第九条は最高最良の「行儀作法」とは言い得て妙。つまり、武力で威嚇して我を通そうとするのは、最低最悪の行儀作法。行儀の悪い人間や国家が多くて、困りますね(*_*)

ふと「衣食足りて礼節を知る」という言葉を思い出しました。調べてみたら、原典は中国春秋時代の斉国の名宰相・管仲(前645年没)が書いた『管子』で、正確には「(人は)物質的に不自由がなくなって初めて礼儀に心を向ける余裕ができ、衣食が足りて栄辱(名誉と恥)を知る」だそうです。
たしかに食うや食わずでは礼節どころじゃないでしょうが、昔よりはるかに衣食は豊かになっているのに、礼節とか栄辱はどんどん廃れていませんか。

少し前までの日本人は、戦乱の時代を除けば、武士・町人・農民・狩猟漁撈民・職人、あるいはオトナとして、それぞれが貧しくても「そんなことをしては、みっともない」という自覚と誇りがあって、敵であれ獲物であれ、他者に対してそれなりの礼儀を守っていたと思います。むさぼらない、他者をおもんばかる・・・自己チューではないってことかな。
そうやって日本人は、衣食が足りてなくても栄辱を保ってきた。その遺伝子が現代日本人にも確かに受け継がれていることを、阪神淡路大震災や東北大震災の被災者の方々の礼儀正しさが証明してくれた気がします。

その一方で、東北の震災後、日本に移住してくれたドナルド・キーンさんが「日本は、裕福な人が被災地に冷淡だ」と怒っておられました。衣食が足りすぎると、弱者の気持がわからなくなるのかな。
西洋には、ノーブル・オブリゲーションの伝統がありますね。金持ちは、貧乏人のために社会的奉仕をする義務があるってやつ。だからヨーロッパでは、博物館や遺跡の保護にも、多くの企業や個人が寄付しています。日本は戦後、中国はつい最近、急に金持ちになったから、お金の使い方の行儀作法をマスターできていないのかも。「衣食足りすぎると、礼節も栄辱も忘れる」

 それでも日本は、戦争に負けたことで武力の使い方の作法は学んだはず。日本が世界に誇れる最高最良の行儀作法なのに、それもいま存続の危機(*_*) 豊かになりすぎて、栄辱どころか学習したことまで忘れてしまうみたい。「衣食足り過ぎ状態が長く続くと、おバカになる」 食べ過ぎに、気をつけよう(^_^;)


「おれたちのほうが礼節あるぞ〜」