第198回 伯州綿と浜絣

佐古和枝(在日山陰人)

そう。千夏さんのいう「時代の制約」をみきわめること自体が、歴史学徒の仕事なのです。狩野亮吉の発言、気になって探してみたけどみつからず、タイムアップで、ごめんなさい。きっと安藤昌益と出会う前のことでしょうね。あるいは、そもそも私の記憶違いだったのかなぁ(*_*) 確かめます。

さて、話はガラリと変わりますが、先月、鳥取県境港市で開催された第2回全国コットン・サミットで、コーディネーターを務めてきました。この話をもちかけられた時、私は綿も木綿も専門外だし、いくらなんでも無茶ですよって言ったんですよ。でも、そうじゃないって、担当者が粘るのでした。
いま、国産の綿は、安い輸入綿に押されて栽培されなくなり、絶滅危惧種に近い状態なのです。境港市が日本最大の綿の産地なのですが、その面積はわずか2.6ヘクタール。綿は、もはや農水省の統計にも入っていないそうです。
「妻木晩田遺跡を破壊の危機から救い、市民の力で蘇らせた手法を、国産の綿栽培にも応用して欲しいんです」そんなふうに言われたら、断わるわけにいかなくて(⌒-⌒; )
このサミットに参加したおかげで、綿について多くのことを学びました。以下、その学習成果のご報告。


境港市と隣の米子市にまたがる弓ヶ浜半島は、中海と日本海を区切るように南北に発達した砂地の半島です。だから、農業には苦労した地域ですが、江戸時代の初期、わが国では早い段階に綿栽培を始めて、鳥取藩の一大産業にまで育てあげました。綿は塩分に強いし、弓ヶ浜は地下水が豊富で井戸を掘れば水が湧きました。明治時代には弓ヶ浜全体で8750もの「綿井戸」があったそうです。
綿の水やりは嫁の仕事で、「嫁殺し」と言われるほど過酷な労働でした。女性達の奮闘とたゆまぬ品種改良のおかげで、江戸時代には全国5位の生産高を誇り、鳥取藩を現金収入で支えた重要産業でした。弓ヶ浜半島は両側が海なので、浜で獲れる大量の鰯の干鰯とともに、海藻を肥料に使ったためコストも安くて済みました。ご先祖さま達の知恵と工夫に感服!

伯耆国の綿だということで「伯州綿」と呼ばれたその綿は、砂地で育つためか真っ白で美しく、また弾力性・保温性は抜群の優品で、大正11年には天皇家に献上されたそうです。
伯州綿は繊維が短く弾力性があるので、布団や綿入れなどの中入れ綿として出荷されました。繊維が短いと細い糸に紡ぐには適していないのですが、農家の女性達はその綿を手で紡ぎ、家族のための衣類や布団を作りました。そこで開発されたのが、「浜絣」と呼ばれる絵絣です。農家の主婦の手仕事とはいえ、鳥や蝶、鯉、桜などさまざまな図案が工夫され、浜の女性達の家族愛を感じます。浜絣は、昭和50年に国の伝統的工芸品に、昭和53年には鳥取県の無形文化財に指定されています。私の知人が久留米絣のお店に立ち寄った時、「鳥取から来た」と言ったら、「日本一の絣の県ですね」と言われたそうです。


浜絣

戦時中、全国のほとんどの綿栽培が途絶えたなかで、伯州綿は細々とながら栽培が続いていたために、戦後各地で綿栽培を再開しようという時、みな境港から種を入手して綿栽培が復活したのだそうです。「僕らも含め、戦後の日本の綿栽培の復活は、境港のおかげなんですよ」と、綿栽培の産地として知られる岸和田の方が教えてくれました。

私、鳥取県民なのに、伯州綿や浜絣がそこまで高く評価されるものとは知らなくて、不明を恥じ入るばかりです。

さらにサミットでは、先進国の大規模な綿栽培の危うさを知りました。遺伝子組み替えされた綿に、大量の化学肥料、枯れ葉剤、除草剤を撒き散らし、一面に茂っていた綿の葉がその日のうちに丸坊主になった映像に、唖然としました。また発展途上国では、真っ白な綿栽培は純潔な女の子の仕事とされ、児童労働の悲惨な実態があることを知りました。輸入綿の安さの代償は、とてつもなく高いのでした。

それに対して、現在わが国では、伯州綿を始め、化学肥料を使わないオーガニック・コットンにこだわって、頑張っている人達が多勢います。品質はもとより、安心・安全は折り紙付きです。

境港の綿畑の見学会の様子

しかし、現実はキビシイ(>人<;) 輸入オーガニック・コットンがキロ当たり200円に対して、国産品は1500円でも割があわないそうです。これでは、綿の生産を維持することも困難です。いま境港市は、国の補助金でなんとか切り盛りしているけれど、もし国の補助金がなくなれば、伯州綿の存続は難しくなります。

市場経済の原理に適合しなくても、守り残さねばならないものがありますよね。大阪で物議をかもした文楽とか、私が関わる遺跡も、損得勘定抜きで残さねばならないものだと思います。国産綿は、300年余もの間祖先たちが営々と苦労しながら育てあげた高品質な綿の種として、わが国の貴重な文化財としての価値があるだけでなく、使い道はきっとあるはず。実際、残っていてくれたからこそ、東北大震災で塩害を被った畑の再生という予想外の場面で役に立っています。50年先、100年先の技術やアイデアで、あっと驚くような活用方法がみつかるかもしれません。綿栽培が途絶えてしまえば、そんな未来の可能性をも、捨ててしまうことになるのです。

それに、なにより安心・安全です。食品に対しては、外国産より国産をという意識がかなり高まっていますが、肌に触れるものにも同様な配慮が必要でしょう。また、先日テレビで見たのですが、いまフランスやアメリカで、「フトン屋」さんが人気を集めているそうです。綿のほど良い重みと弾力、折りたたんでしまえる、などが魅力だとのこと。日本人が捨ててしまいかけている日本の伝統文化の良さを、外国人が再発見してくれています。

考えてみれば、綿に限らず、絹や漆、和紙、木材など、安い海外製品に押されて存続の危機に陥った伝統産業の、なんと多いこと。みなさん!安い海外製品は、確かに財布にありがたいから、それはそれなりに利用するとして、ここぞ!という時は、少し高くても国産のオーガニック・コットン製品を選びましょう。とくに、肌が過敏な子供や高齢者はもちろんのこと、最近増えている乾燥肌の湿疹にもいいそうですよ。私は、ふんわり柔らかい伯州綿のワッフル織りタオル・ハンカチ(800円)が気に入っています。詳細は、境港市農業公社HP http://www.city.sakaiminato.lg.jp/index.php?view=10148 または、境港市役所商工農政課に直接電話で注文してください。お試しあれ!

綿の実