第192回 ■最後の丸木舟〜種子島から■

佐古和枝(在日山陰人)

千夏さん、「市民」になった次は、一人旅ですか。エライ、エライ!(=^・^=) ボニン島って、ほんとに外国みたいですね。日本にこんな島があるんだぁ〜って、写真をまじまじ見入ってしまいました。

丸木舟といえば、本コラム154回でご紹介した種子島では、平成8年まで丸木舟が現役で使われていたそうです。JAXAのロケット打ち上げ台を背景に、ギーコギーコと丸木舟が行きかう。最先端の技術と、6000年前から続く伝統が共存する島なのでした。ボニン島ほどではないけれど、種子島の亜熱帯性の植物もあって、南島の情緒を漂わせます。


1962年に上映された石原裕次郎主演の「零戦黒雲一家」は、ソロモン諸島を舞台にした日本軍の映画なのですが、実は種子島で撮影したのだそうです。密林をかきわけて行軍する風景など、まさか日本だとは思いませんでした。この映画、私は、丸木舟の資料を探すなか、You Tubeで遭遇したのですが、字幕に「ギャク協力 永六輔」と出てきてビックリ! 千夏さんにもご披露しましたよね。ご本人にもお見せしたら、「あ〜、そうそう。裕次郎に頼まれたの」と大笑いでした。

種子島では、昭和30年代には80隻以上もの丸木船があったそうです。それが急速に姿を消していくのを憂いた中種子町は、1982年、舟大工さん達に最後の丸木舟を作ってもらいました。大工さんとはいえ、漁師でもあり、漕ぎ手でもある。使う人が作るという昔ながらの理にかなった形も続いていました。大工さん達にとって、数十年ぶりの丸木舟制作です。その時のビデオもYou Tubeで見ることができます(「種子島最後の丸木舟制作」)。実は「黒雲一家」も、この中種子町が丸木舟の事例紹介としてYou Tubeにアップしたものでした。


ビデオ「種子島 最後の丸木舟」


丸木舟の制作ビデオによると、種子島の丸木舟の原木は、種子島と屋久島にしか自生しないヤクタネゴヨウ松。ヤクタネゴヨウ松はヤニが少なく、軽くて水をはじくので、この木で作った丸木舟は、100年は使えるそうです。この時の制作に使ったヤクタネゴヨウ松は高さ約20m、直径1.5m、樹齢200年と推定される種子島最後の巨木です。切り出した原木の重さは6トン!それを昔ながらの鉄斧だけで加工し、長さ6.3mの丸木舟を作るのに、4人の大工さんで1ケ月余りかかりました。石斧しかない縄文人は、さぞかし大変だったことでしょう。


西之表市指定の古木ヤクタネゴヨウ


縄文人は、隠岐島や伊豆諸島の神津島まで、石器作りの材料となる黒曜石を採集に行きました。どちらも本土から約50Hの沖合にあります。隠岐島は、天気がよければ見えています。とはいえ丸木舟でめざすのは、並大抵のことではなかったでしょう。丸木舟で大海に漕ぎ出した縄文人と、一人でボニン島へ向かった千夏さんの、勇気と覚悟に拍手!!