第180回 ■鉄腕アトムとファイマンさん■

佐古和枝(在日山陰人)

また、新しい年が始まりました。東北大震災を経て、新しい日本を創っていく年の始まりでもありますね。

1951年に誕生した「鉄腕アトム」は、21世紀の未来を舞台とし、アトム〜つまり原子力をエネルギー源としたスーパー・ロボット。そしてそれは、未来への夢や希望の象徴だったように思います。本当に、わくわくしながら読みました。
われわれ世代なら誰でも知ってる鉄腕アトムのテーマ・ソングは、谷川俊太郎さんの作詞なんですね。その谷川さんの作品に「百三歳になったアトム」という詩があります。歌手の小室等さんが、その詩を語り、アトムのテーマ・ソングを短調に編曲して、スロー・テンポで哀調こめて歌っておられます。
湖の岸辺で夕日を眺めている百三歳のアトムは、なんだか寂しげです。アトムは、自分に「魂」がないことを、ずっと思い悩んでいたのでした。詩の最後で、アトムは「ちょっとしたプログラムのバグなんだ多分」と呟いて、夕日のかなたへ飛び立っていきました。

その「魂」って、千夏さんのいう「自然への畏怖」とか「人間の限界」に対する怖れや謙虚さなのかもしれないですね。それは、アトムが悪いわけじゃなく、それを作った人間達にアトムが問いかけているように思えます。福島の原発も、科学者たちが「大丈夫だろう」と安易に思ってしまったわけですよね。

若くしてノーベル物理学賞を受賞し、ユーモアたっぷりの著書で知られるリチャード・ファイマン氏は、著書『科学は不確かだ!』のなかで、ある法則の真偽は「例外」によって試される、と述べています。そんな「例外」が起きるかどうかは、科学者が立ちいるべき領域ではない。ただひたすら起こりうる「例外」を徹底的に探しだし、自分の理論が間違っていないかどうかを確かめる作業に、科学者の進歩と興奮がある。だから、科学者は「自分の理論の間違いを決して隠そうとはしない」し、「無知や疑いを認めることこそ、科学が進歩するためにこの上もなく大切なこと」だと書いています。また、「例外」を探しだしたり、入念に検証するためには、想像力が不可欠だとも。

となると、過去の歴史に刻まれた地震や津波の記録を軽視して、安易に原発を作り、動かして、開き直るというのは、科学的とはほど遠い対応だということですね。
煙をはきだす煙突が立ち並ぶ工業地帯も、排気ガスをまき散らしながら走る自動車も同様に、かつては夢と希望と憧れの的でした。当時は、それが人体や自然界に悪影響を及ぼすなど、「想定外」だったのでしょうね。想像力の欠如と検証不足は、公害という高い代償を招きました。もっとも、これらはまだ人間の技術で制御可能な範囲であり、改善策が成果をあげてきましたが、かたや原子力は、まだ人間が制御しきれないモンスター。えらいものを作ってしまったものです。

「ジョブズが作ったものって、人間以外は喜ばないものばかりだよね」とおっしゃったのは、歌手の南こうせつさん。ジョブズ氏だけでなく、長い歴史のなかで、人間が作ってきたものの大半は、人間だけが喜び、他の生き物にとっては迷惑なものでしょう。人間って、どうしようもない生き物ですね。ある生物学者が、他の生き物と異なる人類の特徴として、「道具がなくては生きていけない生き物」と書いています。だとしたら、せめて自分たちで制御可能な道具にしましょうよ。自然を畏怖し、人間の限界を知り、他の生き物にかける迷惑を最低限に抑え、謙虚に生きていきましょう。ね、ファイマンさん。