第177回 ■里浜続編■

中山千夏(在日伊豆半島人)

はい、サコちゃんの報告に続けて、私も少々。

参加くださったみなさんへの感謝、歓待してくださった地元のみなさんへの感謝、実動部隊のみなさんへの感謝、もろもろひっくるめてここは一言で。ありがとう!

なにかの役にたっただろうか、ただ邪魔しただけじゃなかろうか・・・マジメなサコちゃんならずとも、気になりながらのイベントでした。たぶん、被災地へ手伝いにいったひとは、みんな多かれ少なかれ、そんな気持を抱くと思う。
しかし、地元のみなさんの笑顔に甘えて、遊びにいくのもなにかのお手伝い、とたちまち楽しみモードになる私なのでしたヽ(´▽`)/

全体としては必要充分にして簡潔なサコちゃんの報告に尽くされているので、私はほんの落ち穂拾いね。

蕎麦の実。ほとんどしげしげ見たことないので、よくわかりませんが、このところ気温が高く、ちょっと育ちすぎとか。この日のためにわずかに残して、大半はもう刈り取られていた。この行事には子どもたちも参加して、いきいきと農事を楽しんでいた。「縄文時代に蕎麦があったかどうかは・・・研究中。場合によっては来年は、大豆になるかもしれません」という参加者のひとり、植物学者のスピーチには、一同、爆笑。貝塚から、縄文時代のひとびとは、ウニやフグまで食べたことがわかっているのだが、植物はなかなか難しいらしい。

日常世話してくれているひとたちが刈り方や束ね方を指導。写真は、お手本。2本ほど藁を取り、蕎麦束に二回巻き付けて、一回ねじって、ぐじゅぐじゅぐじゅともんでしなやかにして、巻き付けた部分に挟み込む。先生のを見ていると実に手早く上手にできるのだが、やってみると・・・なんでも修練ですなあ。

でもやっぱり特記すべきは、サコちゃんの報告にもあった、鈴木三男さんによる「放射能汚染なし」の発表。我が鈴木みっちゃんはなかなかの演出家だ、と知った場面でもあった。
先に収穫した蕎麦を県の放射能検査に出してあった。その回答を「まだ封を開けずに持ってきました、ぼくも結果を知りません」と開封して読み上げた。もちろん一同、固唾をのみ、「汚染なし」に大拍手。ぼくも知らんかったって(;^_^A ほんまかいな、と思いつつ私も拍手。
当然、事前に結果は聞いていたと思う。だって、収穫には子どもが参加する。汚染した蕎麦を子どもに刈らせるわけにはいかんでしょ。みっちゃんのことだから、汚染検査が暗い話題にならないように、工夫したに違いない。
しみじみ原発事故の影響を感じた一場面だった。

前夜、里浜宿泊組と地元との交流会で、一言スピーチをやった。原発の話は誰からも出なかった。最後だったので、思い切って触れた。カキを初めとして海産物を自慢にしている地域だけに、言わずにいられず。
「津波被害は確かに大きい。しかしそれだけなら復興の希望がある。しかし、放射能汚染はどうしようもない。原発があったら、観光も遺跡保存もなんにもならない。原発はなくしたい」てなことを。ほっとしたことに、何年ぶりかで会った民宿の亭主をはじめ村の人々も、大きく深くうなづいてくれていた。

翌朝。被害が比較的小さかったのと、地元民の努力とで、資料館近辺は、一見、なにごともなかったかのようだった。ところが、貝塚や、被害が大きかった村落を見学して、午後、もどってみると・・・

資料館の駐車場への道路が水没している。満ち潮だった。大地震で、海岸がどさっと沈んでしまった。海岸線が変わってしまったのだ。それを知らずに駐車した参加者の車もこのありさま。慌てて移動する騒ぎ。自然の凄みをまざまざと見せつけられた。

被害が大きかった村落では、崩壊した建物はもうほぼすべて片づいて荒涼たる住居跡が広がり、その脇に仮設住宅が立ち並んでいた。そして、帰路、松島駅へ向かう車でとおりかかったある地域では、なにもなくなった建物跡の広野に、取り片づけた瓦礫の山が、まるで奈良大和の山々のように横たわっていた。

気が遠くなる思いをした。私は片づけが苦手だ。秋の落ち葉にも当惑しうろうろする。こんな瓦礫の山をどうしたら、いつごろまでに片づけることができるのか、想像もつかない。汚染地域では、そんな山自体が毒物なのだ。はっきりしているのは、放射性汚染物質をどう片づけたらいいか、知らないのは私だけではない、ということだ。だから年々、使用済み燃料が、人里はなれた場所にただただ積み上げられている。
原発はやめなければだめだ。そしてまず、原子力発電に注いできたすべての頭脳と労力と金を、フクシマを中心とする汚染地域の片づけと除染と汚染物質の処理に、即刻、振り向けるべきだ。

帰りに見た、松島駅の路線料金図。代行バス路線の赤色が目に染みた。