第171回 ■ヒミコ力はすごい!■

中山千夏(在日伊豆半島人)

サコちゃんが前回、載せてくれた田和山全景写真は、発掘中の姿だよね? 今は全体緑に覆われて、いい散策公園になってた。
残念なのは、後ろの里山部分と発掘部分とが、病院への道路で分断されてしまったこと。そのために、発掘部分に湧出していた小川も枯れてしまったとか。でも、病院との共存のためには、そのくらいは仕方なかったんでしょうね。

ところでヒミコには「男弟」というのがいて、補佐していた、と倭人伝にある。田和山サポートクラブでも、男性陣もがんばってたよね。里山部分を日常的に手入れして、地元の小学生が自然と親しめるように保存し続けているのは男性陣。蚊に襲われながら里山見学したけれど、保存活動、すごいと思った。里山を子孫に残したい思いが、彼らの話からよくわかった。
もうひとつ、田和山の男性陣がいいのは、ヒミコ力に素直に感動し、尊重していること。いい「男弟」ぶりだ。
もちろん、彼らをそうさせてしまうだけの迫力が、ヒミコ連にあったのだけれど。

そういえば、このサイトでもお知らせした『青鞜』発刊100年記念「いま、青鞜を生きる」集会(9月3日、田町の女性就労センター)、盛況だったよ。楽しかった。『青鞜』に直接関係ある話(「らいてうの家」館長の米田佐代子さん、館かおる教授、詩人の伊藤比呂美さん、元大臣の赤松良子さんなど)ももちろんあってベンキョーになるなかに、関係ないけどヒミコ力アピールの話(田中美津さん、雨宮処凜さん、倉田真由美さん、吉武輝子さん、樋口恵子さんなど)もあって、みんな話が明るく楽しく、客席は終始、なごやかで、パワフルな笑いに溢れていた。

『青鞜』に集った女たちはすごかった。でも、100年の間に確実に、ヒミコも変貌した。特に70年代から女権運動にかかわってきた女たちは、100年前のヒミコたちがたぶん持っていなかったもの、「光」に溢れている。会場を見ていてそう思った。そう、らいてうが言う「青白い月」から、女は着実に「太陽」へ転身してきたのだ。それは、自信と自己肯定の光だ。そしてその拠り所は、85年の国連女性差別撤廃条約を成立させ、雇用機会均等法を手にし、セクハラやDVを犯罪と決めさせた70年代〜90年代女権運動の歴史と、その歴史と共に着実に前進してきたという個々人の実感にある。

むろん改善されない問題は多い。相変わらず「男社会」は強固で、上層部に女の姿はなく、仕事と出産育児の両立は困難、経済基盤はおぼつかない。樋口恵子さんによると、いわゆる先進国の老女のなかで、日本の老女が最も貧しいそうだ。であるからして、「かつてブリジッド・バルドーを、BBと書いてベベと言いました。私たちもBBです。英語読みです。貧乏婆さんのビービーです」。これに大笑いする会場のBBたちは輝いておった。吉武輝子さんなんか、退院直後で酸素ボンベを装着しての出席だったけれど、その言葉には光と力が満ちあふれていた。

女の連帯と力を信じて生きてきてよかったなあ、とつくつぐ感じた一日だったよ、サコちゃん。

100年どころか、たった40年前、女は無力で連帯の能力もない、と思われていた。私もその常識に感染して、女の力や連帯力を半ば疑わずにはいられなかった。「ウーマンリブ」とかかわり、自分自身で連帯を経験し、力を得ていくなかで、どんどんその感覚が変わっていった。

つまるところ、ひとを輝かせるのは、自己変革とそれにともなう社会変革の体験であって、この間、幸いにも女たちはそれを経験した。だから明るいのだろうね。
100年前、40年前に比べればずっと改善された世に生まれた女たちが、どこか浮かない風情なのは、そういう経験がまだないからなのかもしれない。
私だって、100年前に比べれば、憲法が男女平等をうたう良い時代に生まれたのに、若い時はやっぱり浮かない気分だった。それは自身が自己変革と社会変革をまだ体験していなかったからだ。そう思うよ。

だから、うん、やっぱり死ぬまで変革だな。変革の希求、変革の実践は、コウジュンよりドモホルンリンクルより、ずっと美容と健康にいいと思うぞ。遺跡保存も体制変革の一種だからね、これからもどんどん首をつっこむことにする。美容と健康のために(;^_^A
サコちゃん、よろしくねっ。連帯!