第170回 ■田和山遺跡のヒミコ達■

佐古和枝(在日山陰人)

は〜い、千夏さん!松江は楽しかったですね。
田和山遺跡は、私たちが保存運動をした妻木晩田遺跡から車で30分ほどのところにあります。私たちが妻木晩田遺跡の保存運動を始めたのが1997年。始める契機として、千夏さんに来てもらってシンポジウムを開き、背中をド〜ンと押してもらったんですよね。ちょうどその年に、松江市では市立病院の建設にともなう発掘調査が始まって、田和山遺跡がみつかりました。調査が進むにつれ、全国的にも珍しい遺跡だということが明らかになり、地元の住民や考古学研究者らによる保存運動が始まりました。
妻木晩田遺跡の場合、ゴルフ場を造るより遺跡の方がいいと思ってくれる人もいたので助かりましたが、田和山遺跡は、相手が病院でしたからね。遺跡より病院が必要だと思う人は多くて、かなり厳しい状況でした。当初は保存運動もなかなか市民に浸透せず、これは大変だなぁと思っていました。

その空気がガラリと変わりだしたのが、2000年1月、「田和山を見る女性の会」が立ちあがってからです。考古学など、とんと無縁だった地元の女性たちが、保存運動の一環で開催された講演会を聞いて、「そんなに重要な遺跡なら、一度連れてって」と。そして現地に行って、遺跡とそこからの眺めに、すっかり魅せられたんですね。
こんな素敵なお山を壊しちゃいけない!と思った女性たちのなかに知人がいて、相談を受けたので、私は「保存運動は、しかめっ面をしてやってはダメ。楽しいことをやらなきゃ、誰も来てくれませんヨ」と言いました。実際、私たちも保存運動のなかで、遺跡でコンサートや新年会など、いろんなことをやって人を遺跡に誘い込み、型破りな保存運動だと言われました。

しかし、田和山の女性たちは、私たちをはるかに超えていました(^_^;) 田和山遺跡では、コンサート、お茶会、お月見会、凧上げなんて序の口で、壕からツブテが2000個も出土したことから、大山から雪を運んで「田和山で雪合戦!」とか、みんなで壕に並んで手を繋いで遺跡を囲もうとか。そんなイベントに多くの市民が集まるようになり、保存の声も急速に高まりました。そして、その年のうちに主要部分の保存が決定し、翌2001年には国史跡となりました。

女性たちは、楽しいイベントをやるだけでなく、市長や市会議員、さらに文化庁や国会の議員会館にも陳情に行きました。文化庁に市民団体が遺跡保存の陳情に行くというのは、前代未聞のことでした。この時の女性たちの熱意と迫力が文化庁を動かしたのだと、彼女たちと一緒に陳情に行った地元の考古学の先生から聞きました。
従来の遺跡の保存運動は、圧倒的に男性が中心で、どことなく悲壮感が漂い、そして連戦連敗に近い(^_^;) それに対して、田和山遺跡は、考古学と無縁だった女性たちの柔軟な市民感覚とパワフルな行動力によって守られました。田和山の女性たちは、胸の内には悲壮感があったにせよ、いつも笑顔を絶やさなかったのも印象的でした。

そしていま、その女性たちは、他の保存運動団体とともに、「田和山サポートクラブ」として遺跡の管理・活用に取り組んでいます。これがまたユニークな活動がテンコ盛りで、子どもから高齢者まで、楽しげです。田和山遺跡は、学術的に貴重なだけでなく、市民目線を貫く遺跡の保存・活用のモデルとしても高く評価される遺跡です。いまも田和山を大切に守ってくれている松江のヒミコ達に乾杯!