第169回 ■久しぶりのご対面!!■

中山千夏(在日伊豆半島人)

きゃっほ〜サコちゃん元気ですか!
なんてね、つい数日前、8月7日の夜、別れたばかりだけど。

久しぶり、とは思っていたけど、6日の夜に松江で合流した時、3年ぶりだ、ということになって、感無量だった。しかも不思議なことに、場所も時期も、3年前とほとんど同じ。

忘れもしない2004年8月5日、サコちゃんと出雲駅前のそば屋にいた。それまで、60年に一度の出雲大社の遷宮を見学してたんだよね。そして私は、翌日の原爆記念日の集会に出席するというので、広島へ向かうところだった。お別れ前の遅い昼食で、そば屋へ入ったのだ。
そうしたら、いきなりケータイが鳴って、母の訃報。サコちゃんにも、うんと心配かけることになったんだよね。

ともあれ、我がモウ母は実に印象深い日を命日にしてくれたので、さすがの親不孝不信心者の私も、この日付は忘れないし、それにつれて夏の出雲も忘れられないわけ。
あの日以来、会っていなかったんだね〜。このコラムがあるので、なんとなく年中会ってるような気がしてた(;^_^A

そして奇しくも今年、母の命日の翌日、8月6日、原爆の日、場所も古代出雲圏である松江で、サコちゃんと再会することになったのであった。これはもう、出雲の神様、ことに私とサコちゃんが大好きな、カミムスヒ母神様のお導き、としか考えられませんねっ!
目的は、7日、くにびきメッセで開催された「田和山遺跡国史跡指定10周年記念大会」に出席するためでした。

ガクジュツは佐古先生に譲って、私は写真でことの次第を。
これ、当日のパンフの一部。


佐古先生の講演、私を交えた座談会「神話の中の女性たち」と、非常に女性を強調した構成になっているわけを、男性のサポート会員たちから聞きました。10年前、市民病院を造るために、ほぼ完全に壊されることが決まっていた田和山遺跡が、奇蹟的に保存へと政策転換されたところには、市民の、特に女性たちの実に粘り強い活動があったそう。だから10周年記念は、女性にテーマを絞ろう、となったそうです。


大会前に早起きして、遺跡を見学。
遺跡も保存、病院も建設、という現実案で解決したために、広い遺跡は病院への車道に分断されています。現況としては、里山側と、復元した環濠集落側に分断されていて、まずは里山側へ登りました。


里山側から遺跡の全景がよく見えます。山頂の集会場のような建物跡を守るように、3重に巡らせられた空堀の環濠は、日本でもとても珍しい遺跡だそうです。里山の復元管理も市民の手でおこなわれています。子どもたちに、里山を受け渡そうと、サポート会員たちは懸命です。小学校との連係も、とてもうまくいっているようでした。珍しい野草や虫もどっさり。
ただ・・・あつい〜〜蚊が元気〜〜なのは仕方ありませんね(;^_^A

続いて遺跡側に登りました。高いところには、前方後円墳もあって、こんな解説が。


主な遺跡は弥生時代だから、これはのちに古墳時代になってから作られたものらしい。いずれにしても、てっぺんからは出雲世界の全部、聖なる山々すべてが360度に見渡せる田和山は、その立地からして古代出雲の聖地だったに違いない、と確信しました。


いくつか復元されている弥生建造物のひとつ。うしろに見えているのが、問題の市民病院。病院は遺跡のおかげで環境がよく、今では、病院のひとたちも、「保存してくれてよかった」と言ってくれている、とサポート会員から聞きました。よかったよかった。

ということで、あとは佐古先生にお任せします。

あ、今回、サコちゃんとお喋りしてから、ずっと気になっている問題があるの。それは、記紀のスターであるアマテル(天照大神)が、風土記にまったく姿を見せない、ということ。もちろん、風土記は全国のが残っているわけではないけれど、ほかの神やひとが記紀と重複していることに比べて、まったく出てこないというのは、なんでや!? 座談会ではたと思いついて言及してから、ずっと頭を離れないのだ。そういえば、イザナキ・イザナミも風土記では見ない気が・・・
うううむ、またまた宿題拾ってしまったなあ(@_@)嬉しいなあヽ(´▽`)/