第163回 ■トップに進歩はないのかも■

中山千夏(在日伊豆半島人)

あははははは、ウケた。

>トップがおバカだと、現場は苦労百倍、みんなが迷惑!

私は日常的にはトップがいない人生だから、あんまりその苦労を感じないけど、組織で働く友人の話を聞くと、ほんと、そうみたいね。サコちゃんも一種のカイシャ務めだから、いろいろあるのでは、と可笑しかった。

ふ〜ん、倭人は昔から助け合い精神に溢れていたのね。孫さんやらユニクロやら楽天やらみたいな商人もとっくにいたんだね。
そういえば、〈古事記〉には・・・あ、今、また〈古事記〉で遊び出してます。私の主な意見をまとめてうちの花林舎のHPにアップしておこう、なんて思いついてとりかかったら、ははは、面白くなっちゃって。

でね、ちゃんと調べてないから思いつきなんだけど、たしか〈古事記〉には大災害の話はないよね。〈日本書紀〉は知らないけど。
〈古事記〉の天皇が人民の被災を助けたなんて話、覚えがない。
あんなに長い間、大地震とか津波とかなかったわけないから、〈古事記〉は人民の被災に興味がなかった、としか思えないなあ。

考えてみると、天皇記は戦争の連続で、戦争は人民には大災害なわけで、つまるところトップは昔から、被災者を助けるより、被災者を作るほうが得意だったんだよ、きっと。

しかし人民の被災も、核兵器と原発の発明以前と以後では、大きな違いがある。人民にとって、民主主義になったプラスぶんは、核兵器と原発でチャラ。もしくはマイナスかもしれない。

実際、国家に進歩はないんとちがう? アメリカ合州国のビン・ラディン殺し(ほんとかどうか知らんけど)なんか、ほんっとに〈古事記〉のなかにいっぱいある天皇による暗殺事件そのまんまだもの。天皇は正しい、ゆえに天皇の○○殺しはどんなやり方でも正しい、という論法ね。同じよ、アメリカ合州国も。法も何もあったもんじゃない。で、天皇はやりたいほうだい。アメリカ合州国もやりたいほうだい。
古代の日本と現代の国際世界と、変わらん。

それにしてもサコちゃん!
ガッカイには問題あるね!
だれでもそうだと思うけど、大震災と原発事故では、いろいろ考えることが続出なんだけど、今、権威主義について考えている。
原発事故の元凶の大きなひとつは、関係ガッカイの体たらくだった。私、〈古事記〉やったおかげで、考古学の世界をちょっとばかり知ったでしょ。
それで原子力周辺の学・官・財の関係を垣間見るたびに、ああ、考古学と同じだ、と思うことしきりなの。物理学の世界も考古学に増して男社会だし。考古学でも原発事故に匹敵する「神の手」事件があったし。
ただし、考古ガッカイのほうはまず人民の命と暮らしに「ただちには影響ない」からさ、ずっと罪は小さいけれどね。

どうしてそうなっちゃうのか。
と考えていくと、大学につきあたる。大学で培われる人間関係に問題がある気がする。そして核心は権威主義ではないか、という気がしている。で、権威主義とはなにか、なんてところから、遅まきながら考えてるとこ。

大学行ったことないからね、的外れな考察になるかもしれないけど。迷ったら深夜メールで尋ねるから、よろしくねヽ(´▽`)/

あああっ今、浜岡原発、首相停止を申し入れたってニュースがあっ!
おおお、とりあえず一歩前進!止めても即安全ではないから、安全対策はやってもらわいといけないけどね。カンさん、やったね!腰砕けしちゃだめよ!