第162回 ■「頼りないお上」の功罪■

佐古和枝(在日山陰人)

千夏さん、福井県丸岡町の「一筆啓上賞」の授賞式だったんですね。私も初めの頃に、少しばかりお手伝いをしましたから、なつかしいです。
そう言えば、丸岡町も大規模な地震の被害にあっているんですよ。終戦まもない昭和23年6月28日に起きた福井大地震は、阪神大震災に匹敵する規模で、福井平野の建物の全壊率が6割を超えたそうです。
この時の震源地が、なんと丸岡町。地震の被害に追い討ちをかけたのは、津波ではなく炎の海、大火災でした。『丸岡町史』には、目の前で炎にのみこまれる家族を助けることもできず、「この世ながらの地獄絵図」という悲惨な被災状況が綴られています。
今回の震災で、南相馬市の市長さんは、YouTubeで世界に支援を訴えて「世界の100人」に選ばれましたが、福井大地震の時、福井県知事は、すぐにラジオで全国に救援と復旧指導を要請しました。ラジオの効果だけじゃないでしょうけれど、7月1日から富山・石川などの近隣県より救援物資が届き始めただけでなく、関西、岐阜、愛知、名古屋、静岡などから、救援物資が届いたり、医療救護隊、土木建設隊、警護隊、消防隊などが派遣されています。東京の大学生たちもボランティアで救援活動に来ています。今回の震災で、諸外国も感動した助けあい精神は、この頃からちゃんとあったんですね。え?国は何をしてくれたかって? 町史に書いてないので、わかりません(^_^;)
 
さらに時代を遡り、1788年正月29日、京都は応仁の乱以来といわれるほどの大火事にみまわれました。2月3日にやっと鎮火したというから、そうとうな大火事です。
この時も、周辺地域から緊急支援物資が続々と届いたり、京都の寺社の警備・復興に多くの信者が駆けつけています。なかでも、大坂の豪商たちが大活躍。われもわれもと救援物資を積んだ船を仕立てて、京都に向かわせたそうです。
その豪商の一人、大津屋庄兵衛の記録によると、「浪花の気質として、強きをやっつけ弱きを助ける風土がある。京都に人達が大変なめにあっているのを、助けずにいられようか」(サコ意訳)って、みんなが米・味噌・醤油・塩・油とか、茶碗・しゃくし・盥・行燈とか、船にいっぱい積んで、我を忘れて京都をめざしたとのことです(北原進「浪花っ子と江戸っ子」『日本の近世』17より)。今回の震災でも発揮された民間パワーの頼もしさは、この頃からちゃんとあったんですね。
え?幕府は何をしてくれたかって? 知りません(^_^;) 江戸の幕府は貧乏だったから、庶民も期待してなかったでしょう。おかげで、というか、否応なく、お上に頼らぬ逞しいマン・パワーと自分達で助けあうボランティア精神が養われたんですね。
 
「トップは弱いけど、現場は強い(優秀)」といわれる日本。歴史をふりかえってみると、昔からずっとそうだったのかもしれないなと思います。千夏さんが危惧する「強い指導力のあるリーダーを求める気持」の危うさは、まったく同感。でも、トップがおバカだと、現場は苦労百倍、みんなが迷惑!・・・とつくづく思う今日この頃。


むきばんだ遺跡で咲くサクラ