第149回 ■ムズカシイ問題■

中山千夏(在日伊豆半島人)

やっぱりね!
永留さんは立派な研究者だったのね!
選ばせていただいてよかった。あの部門の担当をした最終選考委員の色川大吉さんや鎌田慧さんに伝えよう、喜ぶよきっと。
今月30日の授賞式に、出席されるかな? 90歳というご高齢だから、わざわざ対馬からは、無理かもしれないけど。
サコせんせの話で、ますます対馬に興味が強まりました。いつか訪ねよっと!

ところで、件の賞、前にも書いたけれど私は小説やエッセイの選考担当なんだけどね、今回、最終選考まで残ってきた佳作に、歴史小説なるものが多かったの。正直、参った。
私、歴史小説、苦手なのよぉ(^_^;

ことに、「教科書の歴史に残る有名人」が、「教科書に残る歴史」のなかで動くのを、「資料に忠実に描いた創作」というやつが苦手。今回、それが多かったので、参った。

物書きの端くれとして言わせてもらえば、こういうものを面白く読ませるには、よほどの文才がいる。凡才がこれをやると、ちょうどテレビの「再現ドラマ」みたいになっちゃう。文芸としての質が悪く、魅力がない。
それに、そのテのものには、必ず作者の歴史考察があるわけで、どうしても自分の考察や推理に寄せて創作することになる。ものによっては歴史の捏造に近くなる。なにしろ、「小説」とうたえば何書いてもいいわけだからね。

特に、歴史の捏造が社会の不幸につながりかねない題材は、論考にとどめて、小説化はしないのが正しいと、私は思ってるの。「邪馬台国」の成り立ちや、記紀の歴史は、慎んで論考に留め置くべきだし、そうした分野の小説は、眉につばつけて読むべきだと思う。

こうした私の歴史小説嫌いには、別の角度からの理由もある。
教科書に残っているほど有名なできごととその主人公を、そのうえわざわざ書いてひろめることはないじゃないの、と思うわけ。
せっかく想像力を働かせるのなら、その時代、歴史書には名も事跡も残らなかったひとたちが、なにを考え、なにを愛し、どう生きたか、を描くほうがいいような気がするのよ。
それが小説ってもんじゃないの?

人間みな平等でしょ、なら歴史記述も平等な量、あるべきでしょ。坂本龍馬の性格や人生ばっかり厚塗りするのは、不平等をさらに助長するようで、気に入らないんだよね。
ま、ムズカシイ問題だけどさ。