第140回 ■キナ臭い考古学の話■

佐古和枝(在日山陰人)

あはは〜、イノシカチョウですか。のどかで、いいなぁ。私は、仕事をいっぱいためこんでしまい、青ざめたり頭に血が昇ったり・・・だから、青タン・赤タンの毎日です。
クロアチアにも「日本人」にも、おつきあいいただき、ありがとうございました。考古学をやってると、日本って地球のなかでも珍しいほど平和な国だなって思います。だって、大陸の国の多くは、国境が変わったり、民族が移動したりしているから、「この遺跡は、自分達とは関係ない」とか「これは、自分達の祖先が残したものだ」とかいうことがあるんです。驚いたのは、数年前にイギリスの考古学者から聞いた話。世界遺産にもなっているストーン・ヘンジは、イギリスを代表する有名な古代遺跡であり、観光地としても知られています。でも、「あれは先住民が残した遺跡だから」ということで、学校の教科書に載ってないのだと、彼は嘆いていました。誰が残した遺跡であろうと、大切な人類社会の歴史遺産なんですけどね。また、アメリカやオーストラリアのように歴史の浅い国での考古学は、完全に先住民の人達の残した遺跡が研究対象です。だから、研究者と先住民の間でいろいろトラブルもあり、民族問題が考古学研究の大きな課題にもなっています。

それに比べて日本では、ごく少数の例外はあるにせよ、みつかった遺跡のほとんどは、「私達の祖先が残した遺跡だ」と疑いもせずに言える。弥生時代や古墳時代に、渡来集団が残したと思われるムラや墓もありますが、別に分け隔てることもなく、大切にしています。こんなに平和に考古学ができる国は、世界的に珍しいんじゃないかなぁ。

そうそう、思い出した。以前、ある会合で京都在住のウイグル人に紹介された時、私が考古学をやっていると言うと、怪訝な顔をしてプイとソッポ向かれたことがありました。宴たけなわとなり、お酒の勢いもあってか、彼が私のそばにやってきて「考古学者は、ケシカラン」と言うのです。なんで?と尋ねたら、中央アジアや西アジアあたりでは、考古学者が古い遺跡を発掘しては、「オレ達の祖先が、こんなに古い時期からこの地域にいた証拠だ」といって、領土問題・民族紛争に加担しているとのこと。自分で遺物を埋めて、自分で掘り出すコーコガクシャも珍しくないそうです。うむむ、そりゃケシカラン!おっと、日本にも約1名、そんな人がいましたね。日本の考古学界は、「信じられない・・・」と仰天しました。もっとも彼の場合は、単純に名誉欲と自己顕示欲。もちろん、とんでもない大罪ですが、それでも銃声が戦争ではなく鹿狩りだったというのがせめてもの救いであり、日本は平和だなと思う考古学徒サコでした。

ついでにもうひとつ、キナ臭い考古学の話。近年、あちこちの国で起きた大量殺戮の実態を確かめるために、アメリカの考古学チームが駆り出され、成果を挙げているそうです。そこには、クロアチア紛争での大量殺戮の現場も含まれており、その発掘成果が裁判の訴追資料にされたとか。10年前でも2000年でも、発掘の基本は同じですからね。でも、その成果とは、使った兵器の種類や数、殺戮方法、犠牲者の数や被害状況などを発掘成果から割り出したもので、残酷なほどリアルに過去を再現しています(詳しくは、松井章さんの『環境考古学への招待』岩波新書)。
あらら、千夏邸のイノシカチョウにあやかって、平和を喜ぶ文章を書くつもりが、逆方向にいってしまいました。戦争と平和、古代と現代、どちらも合わせ鏡みたいなものってことで、お許しを(*ノωノ)