第136回 ■「夢をもて」という功罪■

佐古和枝(在日山陰人)

20年ほど前というと、佐賀県の吉野ケ里遺跡がみつかって大騒ぎ。それで吉野ケ里のシンポジウムがあって、千夏さんと初めて出会ったんですよね。颯爽として可愛くてカッコいい千夏さんの姿、いまも鮮明に覚えています。あの頃、すでに隠居宣言?・・・いやいや、やりたくないことはしないって決めてたんですね。
私は、あの頃から考古学を仕事とし始めたのですが、以来ずっと、やりたくない仕事って、なかったなぁ。妻木晩田遺跡に関わるようになってから、お金にも研究業績にもならないことが増えて貧乏ヒマなしだけど、自分がやりたいことばかりだし、生活費は大学がくれるから、なんだか道楽三昧で生きてるみたい(^_^;) だから、就職難にあえぐ学生達から「センセは、好きなことを仕事にできて幸せですね」なんて言われると、つい「すみません」と言ってしまいます。田中優子さんの言うとおり、「末は小町」をめざします。
そんな私も、20年ほど前には、まさか考古学で生きていくなんて、思ってもいませんでした。わからないもんですね。

 同様に(ってのも強引ですが)、「胴長短足の日本人」がこれほど急速に絶滅するなんてことも、予想外の事態だったでしょう。本当にいまの学生は、背は高いし、足は長いし、顔は小さいし、美男美女揃い。なんで、こんなに変わったのか? サコの答えは、畳の上に座ることがなくなったから、足が長くなった。加えて、食生活が西洋化したことも大きく影響している。
だから、縄文人と弥生人の顔つき体つきの違いだって、本当に渡来人との混血だけが理由なのかと、いささか疑問に思っていました。だって、渡来人が大勢やってきたわけでもない中世に、日本人は何故だか出っ歯でサル顔になるというし(秀吉は典型的な中世人の顔だったんでしょうね)、同じ江戸時代でも、将軍と公家と庶民では、体格も顔の輪郭もずいぶん違う。これは明らかに、生活の仕方や食文化の違いによるものでしょう。だから、縄文人も稲作を始めたことで、生活の仕方や食文化が変わったから、徐々に顔つき体つきも変化していったという可能性はないのかなと。
けれども、近年のDNAとか遺伝性の強い歯の形や頭蓋骨小変異などの研究によると、北部九州の弥生人は、縄文人とは系譜が異なり、朝鮮半島の人に近いそうです。つまり、縄文人が環境変化に応じてじわじわと顔つき体つきを変化させたのではなく、やはり渡来人との混血に要因があるようです。これはひとまず、遺伝学の研究成果を見守ることにしましょう。
問題は、いまの若者達です。サコは前述のごとく、生活の仕方と食生活の違いだと思っていたのですが、「在米日本人は胴長短足が多いですよ」と、アメリカ生まれの日本人の留学生がサコ説を否定するのです。そして、彼も伝統的な日本人の体形でした。うむむ〜、なんでやろ。。。

ところで、千夏さんに質問です。いつもボソボソっと謎かけみたいなことを言って、サコをドギマギさせて遊ぶ、京都のある名刹の住職が、先日も、なぜニートになるのかという話で、「夢をもて、なんていう教育をするからだ」とボソっと一言。なまじっか「夢をもて」なんて言うから、「やりたくないことはしない」と思う。でも、やりたいことがみつからない。だから、ひきこもる。。。たしかに昔は、農民の子は農民、大工の子は大工、漁師の子は漁師というように、職業選択の自由などなく、とにかく生きていくために働いた。それが当たり前だったんですよね。この住職も、お寺の子だったから住職になった。だから、こんなことを言うのかしらん(^_^;)
でも、夢ってのは、頑張って生きていこうと思う、いちばんの原動力だと思うから、就職氷河期に悪戦苦闘している学生達にも、とりあえず就職口をみつけることが先決だけど、「夢は捨てるな」と言ってやりたい。そうは思えど、考古学がやりたくても、行政のスリム化とか財政難とかでマトモな就職先はなく、事態が好転する希望ももてない。それでも考古学をこよなく愛し、嘱託とかバイトとして発掘現場や博物館で食いつないで、気がついたら30代後半ってな独身オトコがゴロゴロいます。手取り15万円、2年契約の嘱託を渡り歩くようでは結婚もできないですよね。先日ある考古学の先輩から「考古学は諦めて、別な仕事を探せと言ってやれ」と言われて、またまたショック。でも、考古学に限らず就職は厳しいし、30代からの転職はなおさらでしょう。若き考古学徒の行く末は「小町」かぁ。誰かヨメになって、日本の未来のために、純朴な考古学徒を養ってくれるという寛大で生活力のある女性はいないでしょうかしらん(;_;)


「さまよう土偶」(画・さかいひろこ)