第130回 ■「日本人」って何なんや?■

佐古和枝(在日山陰人)

うわ〜っ、なんというタイミング(;O;) 実は、うちのガッコの人権問題研究会の機関紙に何か書けって言われて、「「日本人」を考える〜考古学・古代史の立場から」なんちゃって原稿を、昨夜の明け方4時までかかって書き上げたところです。なもんで、この千夏さんの質問に、今なら10回くらい書きたいことが頭の中をグルグルしています。
まず、考古学徒サコがいちばん答えやすいところからいきますね。縄文人と弥生人の関係について。
 
その前に、ひとつ確認。人種という概念ですが、それは定義も境界も曖昧なので、現在は否定されています。それに、アメリカでおこなわれたミトコンドリアDNAの研究によると、現在生きている人間は、みな12万年ほど前にアフリカに登場した人種を共通の祖先にしているそうです。そうなると、コーカソイドとかニグロイドとかモンゴロイドとか、かつておこなわれていた人種の区分も、地域的な特徴に過ぎないことになります。そしてそういう特徴は、4万年ほど前には確認できるらしいです。なので、「日本人種」っていう区分は、ありません。
とはいえ弥生時代になると、たしかに縄文人とは異なる顔つき体つきの人骨が出土するようになり、渡来人がやってきたと考えられています。戦前までは、「稲作をもって渡来した集団が、先住民である石器時代人(縄文人)を征服・駆逐して、住み着いたのが現日本人の祖先。アイヌは先住民の生き残り」ということが定説のように広まっていました。つまり、縄文人と弥生人は異民族だということです。しかし、これも現在は否定されています。

人類学のセンセイ達によると、縄文人とは、ずーっとアジアの温帯域でぬくぬくと暮らしていた古モンゴロイド。温帯域といっても東南アジアから現在の中国がすっぽり入るほどの範囲です。
それに対して、弥生時代のニュー・フェイスは、最後の氷期のなかでもいちばん寒かった2万年前頃に、シベリアあたりに進出して生き残った、寒さに強いタイプの新モンゴロイドの子孫。氷期に食べ物が少なくなると、分散しないと生きていけません。その時に、なんとシベリアに住み着いた、根性ある連中がいたわけです。トナカイという食糧がいますからね。人間で、すごいですよね。
寒さに強いタイプというのは、一重まぶた(厚いまぶたで眼球を保護)、眉やヒゲが薄く(凍るから)、鼻は低く唇は薄く(凍傷になるから)、耳垢は乾いてる(水分があると凍るから)という特徴の持ち主です。顔は面長で、伸長は縄文人より数センチ高い。


渡来系弥生人といわれるタイプは、稲作地帯に広まります。在地集団(縄文人の子孫達)が渡来人と結婚したり、農耕生活を始めたことで、縄文人とは異なる顔つき体つきになっていったようです。遺跡の状況をみると、実際に渡来してきた人はそう多くはなさそうですが、狩猟採集民に比べて農耕民の人口増加率は飛躍的に高いので、渡来系といわれる特徴をもつ人間がどんどん増えていったのでしょう。
弥生時代になっても、田んぼに適さない土地、たとえば関東とか南九州、西北九州では、依然として縄文人と同じような顔つき体つきの人骨が出土します。北海道のアイヌと沖縄の人達が似ているといわれるのは、古モンゴロイド、つまり縄文人の特徴がよく残っているということです。紀元前6世紀頃から北部九州・四国・本州西半が稲作を取り入れるようになって、他の地域と違う道を歩き始めたですね。長い人類の歴史からみれば、ついこの間のことです。

「沖縄人も本土人もアイヌも根っこは同じである」ということは、本来「だから差別するなんておかしい」という良い方向にむくべきなのですが、明治時代の日本人達は「だから、一緒になれ!」と強引に日本化を進めました。
同様に、明治・大正時代に盛んに「日本人とは何か」が議論された背景には、日韓併合を正当化しようという意図がありました。「日本人は、もともと朝鮮半島から渡ってきた集団なので、日本人と朝鮮人は祖先が同じである。だから、一つの国になるべきだ」という理屈、いわゆる日鮮同祖論です。神功皇后や桓武天皇が渡来系氏族の系譜をひくということも、プラス価値のように言われていました。
そういえば、つい最近、オザワさんが韓国で「天皇は韓国から来た」と言ったそうですね。「来た」というのは、桓武天皇などの場合と違い、騎馬民族征服王朝説になります。日鮮同祖論より、さらに過激ですね (^_^;)

驚くことに、明治時代から戦前までは「日本人は、ヤマト族・アイヌ・琉球族・クマソ族・出雲族など、多種多様な民族の融合体である」という認識が主流だったのです。サコは、てっきり明治時代に、「日本人は純血の単一民族」という幻想が創られたのだと思っていたのですけれど、今回調べてみて、そうじゃなかったことを知ってビックリ仰天。千夏さんが使った「ヤマト民族」という言葉は、明治・大正期の「日本人多民族論」のなかで、本土に住む日本民族の一部として使われています。ヤマト民族=日本民族、ではないのです。

んじゃ、日本民族とは何か。となると、そもそも「民族」とは何ぞや、というやっかいな問題にぶつかります。その定義は山ほどあってヤヤコシイのだけれど、ものすごく単純化すれば「言語、文化、歴史、所属意識を共通にする集団」でしょう。だとすると、少なくとも江戸時代以前には、「日本民族」なんてあり得ないですよね(^_^;) 
それでも、なんとなく太古の昔から日本列島には「日本人」が住んでいると思っている人が圧倒的に多いと思います。「日本は単一民族の国だ」なんて国会議員や総理大臣までが言う。いったいそういう人達が思っている「日本」とか「日本人」とは、何なんでしょうね。日本は単一民族の国だなんて思うようになったのは、いったいいつ、何故だったのでしょうか。
ほら〜、書きだしたら止まらなくなってしまった。この答えは、来年に。

今年も、もう残りわずか。お正月に、お雑煮やおせち料理を食べ、着物姿の人達を眺めながら、「日本人とは何ぞや?」と、皆さんも考えてみてください。来年も、よろしくお願いします。