第125回 ■刺身と寿司とカラシについて■

中山千夏(在日伊豆半島人)

伊豆諸島の遺跡!
ボニンこと小笠原はもちろん、八丈島と三宅島にはダイビングで、大島には「近間」の観光で、何度か訪れたことがある。ほかの島にも行ってみたいのだけれど、果たせずにいます。
サコ先生のお話で、またまた伊豆諸島への興味がわいて、全島踏査してみたい、と思ってしまいました。思うな〜たいへんだ〜。

刺身を青唐がらしで食べるのを知ったのは、ボニンでだった。
島に半ば自生する小さな青い唐がらしを、皿の醤油に丸ごと入れ、箸の先で潰し、刺身をつけて食べる。「あんまり潰すと辛いよ」と地元民が注意したのももっとも、その辛いこと辛いこと!
小笠原は確かに五島列島とつながってますね、青唐がらしで。

それにヅケ。ほら、五島で食べたイサキのヅケ(地元では違う呼び方だったような記憶が・・・)、おいしかったあ。主成分は醤油と酒、それにすりゴマたっぷりのたれに、イサキの刺身が漬けてある。酒のサカナにして、最後はあったかいご飯にのっけてお茶漬けにして。
でね、小笠原や八丈の「島寿司」は、見た目握り寿司なんだけど、ネタがイサキみたいな魚の刺身のヅケなの。そして、ここが肝心なんだけど、ワサビではなくて、黄色いカラシをご飯とネタの間に塗るの。
これがまた、う〜ん、書いててよだれでちゃう。
ボニンへ行けば、必ず一度は島寿司を食べる。

島寿司を知ったのは八丈島でした。
作って食べさせてくれた友人の祖父母は、元、小笠原に近い硫黄島の住人だった。そう、「太平洋戦争の遺跡」と言っていい、あの硫黄島。
要塞化と、1945年、敗戦直前の強制疎開で追われ、戦後は硫黄島には居住が許されなくなったために、故郷に帰れなくなったんだって。
今は自衛隊しかいないけど、私たちの祖父母の時代には、ひとが暮らしていたんだね。島寿司を作って食べていたんだね。

だから八丈の島寿司は、小笠原近辺からの伝来かな、と思う。
刺身の青唐がらしも同じなんじゃないかな。
小笠原から八丈へ。これは昔からよくあるひとと文化の流れなんじゃないかな。

握りのカラシも刺身の青唐がらしも納得できる。
だって、ワサビが育つ風土じゃないものね。
だけど、今回、改めて考えたのは、はてさて、カラシがワサビの代役なのか、ワサビがカラシの代役だったのか。
小耳に挟んだところでは、和人が生魚を食べるようになったのは、そう古いことではないらしい。握り寿司が発明されたのは、江戸時代、江戸でのことだそうだ。
東京と小笠原や伊豆諸島との関係は、今も意外に緊密でしょ。政治的にも交通のうえでも。そのなかで我が伊豆半島も大きな役割を果たしてきたのである、えっへん。
となると、島々の習慣が江戸に新文化をもたらした、とも考えられるのではないかしらん。するとワサビがカラシの代役だったことになるかも。それにワサビの代表的な産地は伊豆でしょ、なんか、おもしろい!

ううむ、魚の生食と唐がらしとワサビの歴史的関係。
誰か研究してたら、教えてほしいなあ。