第121回 ■元祖ヘタウマ?■

中山千夏(在日伊豆半島人)

魚の絵の話、おもしろいね!
興味しんしん。

古代の絵というと、どうしてもラスコー洞窟の壁画がアタマに浮かぶ。そして、思う。倭人は写実がヘタクソだなあ、と。

サコ先生が前回見せてくれた魚の木彫や絵は、みんな弥生時代のものでしょ。たかだか2000ほどの昔。一方、ラスコーは15,000年も前、クロマニョン人が描いたというではありませんか。しかし、巧拙で見ると、ラスコーのほうは現代でも通用するほど、上手だよね。遠近法もすでに使われているらしいし。

立体的な写実画が西洋で発展し、日本では江戸末期までひらったい装飾的な絵しかなかったことも、古代に端を発しているのかもしれない、と思えてくる。

石川県小松市八日市地方遺跡の木彫。この形、確かにダツ系だね。
しかし、赤黒の横縞(人間から見ると縦縞になるんだけど、魚の場合、魚の体に対して横なら横縞、頭方向と尾方向を結ぶ縞なら縦縞、と言うのね)は、それに近い模様も思い当たらないなあ。図鑑にも見えないし。ダツ類は、銀色一色の剣みたいな魚、という印象よ。

ところがネットを調べてみたら、釣り上げたハマダツだという写真に、黒い横縞が見えていた。なんだなんだ、とさらに調べたところ、ハマダツは「全長1.2mに達し、体側に黒っぽい横しま模様が出ることで他の種類と区別できる」という記事にぶつかりました。写真も多く比較してみたところ、大きさや尻尾の上が短いなど、体型はテンジクダツと類似していて、ただハマダツの特徴はなんといっても横縞です。ほかのダツに縞はない。
だとすると、この木彫は、テンジクダツではなく、ハマダツを強そうにデザインしたものではないか。体型がよく表現できているところからして、これはかなり写実的な作品だと思うので、横縞も写実だと考える次第。色が大胆なのは、尾形光琳の祖先ですから〜。ははははは。

ちなみに「小骨が多いが、ダツの中ではうまい方。唐揚げはなかなかうまい」という記事もありました。弥生人はそれも知っていたのではありますまいか。

ところで、鳥取県青谷上寺地遺跡の魚は、はたしてなにか?
考えてみました。

まず、シュモクザメか変形したフナか、の問題ですけど。
私としては、深澤センセのお説に賛成だなあ。ふふふ、なんにせよ畿内から地域に伝わった、という説には難癖つける私にしては、珍しいでしょ。

というのは、これらの絵の大半が、とても魚を実際に写生したとは思えないからなの。
それもそのはずではなかろうか。魚って、ラスコーの動物と違って、なかなかよく観察できないでしょ、なにしろ海中だから。そりゃ、漁師は詳しく見ただろうけど、銅鐸や壺やなにかに絵つけしたひとたちは、どの程度、魚をよく見たのだろう。ハンマーなどは、海上から見るとほとんど妙な浮遊物に見えるし、クジラやイルカも、海中でよく見ないと、つぶさにその形はわからないものね。

同じ兵庫県袴狭遺跡の絵でも、カツオかスズキと言われているものは、比較的正確に描かれていて、シュモクザメと言われているものは、あまりにヘタです。それは、カツオやスズキは食べ物として目に触れる機会が多かった、つまりスケッチする機会が多かったからではないかしらん。
そして、シュモクザメと言われている絵は、シュモクザメをよく見ないで話で描いたか、そうでなければ、それこそ「フナの絵」として伝えられた様式をヘタに表現したか、なのではないか。

で、鳥取県青谷上寺地遺跡の絵ですが。
ほかの遺跡の大方の絵と同様、「魚らしいが、あまりにヘタでなんだかわからない」が正解ではありますまいか。ヘタの原因は、魚をよく見て写生する機会がなかった、その努力もしなかった、その必要もなかった、ということではないでしょうか。魚らしきものが描かれていれば(または「お手本」に似ていれば)充分、役に立ったのではないか、なんて思っています。

ところでワニですが。
今もサメをワニと呼ぶ地方がありますね。そして、小笠原でダイバーに人気の魚のひとつは、シロワニという名のサメです。大きいのは3mくらいある。日本では小笠原でしか見られないんですって。



「今年の6月に会ったシロワニ」

いくたびに会います。尊敬してます。