第120回 ■弥生人が描いた魚の絵■

佐古和枝(在日山陰人)

祇園祭りも終わり、いよいよ夏本番。千夏さんは海に潜って、お魚とたわむれ、ご機嫌な日々でしょうか。ってことで今回は、考古学の魚の話です。弥生人は、土器や銅鐸、何かに使った板材などに、いろいろな絵を描いています。そこに魚の絵もあります。銅鐸の絵は、サギのような足の長い鳥が魚を加えているので、田圃などの浅い淡水にいるフナだろうと思われます。

一方、日本海沿岸の弥生遺跡では、海の魚がよく登場します。千夏さんは、海で怖い魚に遭遇したことはありませんか? 石川県八日市地方遺跡では、表面を赤と黒で彩色した魚形の木製品が出土しており、サヨリかカマスのようですが、魚の特徴からテンジクダツだと推測されています。

サヨリやカマスは美味しいけど、テンジクダツって美味しくないそうです。しかも、鋭い歯をもっており、キラキラ光るものに突進する習性があって、人を襲うこともあるらしい。この魚の木製品には固定するための小さな穴があいており、門の横木に打ち付けたのではないかという見方があります。民族例では、門に鳥形木製品や船形木製品を付ける事例が知られています。八日市地方の弥生人は、怖いテンジクダツを門につけて、悪霊や怪しい侵入者が村に入るのを防ごうとしたのでしょうか。
兵庫県の袴狭遺跡では、たくさんの船や魚を描いた板材が出土しています。魚の特徴から、カツオやスズキ、そしてシュモクザメだと言われています。

シュモクザメといえば、何年か前の夏、鳥取県東部の白兎海岸あたりにいっぱい現れて、獰猛なサメで危険だからと海水浴が禁止され、地元の町が大打撃だったことがあります。白兎海岸は、千夏さんお得意の『古事記』の神話にでてくる「因幡の白兎」の舞台として命名されました。
この神話にでてくるワニとは、サメのこと。山陰では、サメをワニと言うのです。サメの肉はアンモニアを含むので、ナマでも腐りにくいため、中国地方の山間部、とくに三次盆地のあたりでは、ハレの日には欠かせない御馳走です。
白兎海岸のすぐ西に、弥生人の脳がみつかったと話題になった青谷上寺地遺跡があり、ここでも土器や板材、櫂、扁平な石に同じような魚の絵が描かれており、サメだと言われています。日本海沿岸の弥生人たちにとっても、サメの登場は大事件だったでしょうね。

ところが、この絵を「サメではない!」という考古学者があらわれました。奈良文化財研究所の深澤芳樹さんです。サメは大きな胸ビレのあることが特徴ですが、本来の胸ビレは背ビレより前方につきます。イルカも同様。ところが描かれた「サメ?」の胸ビレは、背ビレより後ろにある。サメをよく知っている日本海側の弥生人が、こんな間違いを犯すはずはない。

深澤さんは、魚の絵を時期ごとに整理した結果、畿内の銅鐸などに描かれるフナの描き方が日本海側へ伝播し、変形・発展したものだと考えておられます。弥生人が魚の絵を描く時、パターンというか描き方の法則みたいなものがあって、それが伝わっていったのだということです。そのお絵描きの法則の話はとても面白いのですが、だとしたら青谷上寺地の魚はいったい何なんだろう。千夏さんは、どう思いますか?

ついでに、「因幡のシロウサギ」についてのサコの疑問。日本の野生のウサギが白くなるのは冬だけで、普段は茶色なのです。気になって『古事記』をみてみると、「裸の兎」とあるだけで、どこにも白いなんて書いてない。どうやら、野生のウサギをよく知らないまま、ウサギは白いと思いこんでいる後世の人々(たぶん現代人)が、勝手にシロウサギにしたのでしょう(^_^;) そして私たちも、サメの形をよく知らないままに、弥生人が描いた魚を勝手にサメだと思いこんでいるのかもしれませんね。