祝!100回記念 妻木晩田遺跡(2)
第101回「保存運動から奇跡の全面保存へ」

佐古和枝(在日山陰人)

近年、わが国では毎年8000ケ所ほどの発掘調査がおこなわれていますが、そのほどんとが開発事業のために遺跡を破壊することを前提として、開発事業者が発掘費用を負担しておこなわれています。だから、いったん発掘調査が始まってしまうと、その調査の過程で予想以上に重要な遺跡であることがわかっても、方針転換して遺跡を保存することは非常に難しいのです。おまけに妻木晩田遺跡の場合、遺跡の規模が大きすぎます。「保存運動なんか、やっても無駄。絶対に無理だよ」というのが考古学仲間たち大半の意見でした。わかってる。だけど、こんな凄い遺跡まで壊してしまうことを、黙って見過ごしていいの? 私の頭に浮かんだのは、Doing nothing is doing ill.(なにもしないことは、悪いことをしているのと同じ)でした。かなわぬまでも、せめて一太刀・・・そんな思いで、地元市民と一緒に保存運動を始めたのでした。

★遺跡の保存運動って、なにやらキナ臭い印象があるでしょう? でも、私たちは一人でも多くの人に遺跡を見てほしかったので、楽しいことをやりました。自分たちが楽しくなければ、誰も来てくれないですもんね。だから、型破りの保存運動といわれるほど、いろんなその一つが、「おんな組」の仲間でもある李政美さんの遺跡コンサートでした。この時、ちょんみさんと初めて出会い、それ以後ずっとムキバンダを応援してもらっています。

★鳥取県は、調査後に遺跡を破壊するつもりだったので、調査が終わった地区はそのまま放置されていました。これ幸いと、調査がお休みの土曜日に、私たちが主催で遺跡の見学会を何度もやりました。もちろん、ちゃんと県の許可を得た上での開催です。

★なかなか現地まで来られない人のため、あちこちで写真パネル展を開きました。デパート、公民館、美術館、レストランetc. 会場を貸してくれるところなら、どんなところでも開催しました。98年の1月から12月までの間に18ケ所、地元はもとより、東京・大阪・京都・兵庫・広島でもやりました。

★妻木晩田遺跡のことを知ってもらいたくて、「出前講演会、やります!」と新聞でPR。大勢の考古学者が「オレも協力するぞ」とボランティアで応援にかけつけてくれて、97年12月から98年7月までの間に10人の研究者で14回、やりました。他に、シンポジウムや関西発の妻木晩田遺跡見学バスツアーなどもやりました。

★そんなこんなをするうちに、だんだん保存を望む声が広まって、全国から署名が集まり、韓国の考古学界からも保存要望が届き、ついに文化庁も動き出し、99年4月、全面保存が決まりました。「奇跡だ」と、考古学関係者から言われたものです。コケの一念っていうのか、諦めなければ夢は叶うんだ・・・と思ったサコでした。
4月に予定していたフォーラムは、急遽、保存決定を祝い、今後の期待を語る会となりました。フォーラムの司会は、保存運動を始める契機となったシンポジウムでサコの背中をど〜んと押してくれた千夏さん。パネリストには、保存運動で奔走してくれた国立歴史民俗博物館館長(当時)の故佐原真先生や文化庁主任調査官(当時)の岡村道雄さんが加わってくれました。

つづく!