祝!100回記念 妻木晩田遺跡
〜破壊から救われた最大級の弥生遺跡〜

佐古和枝(在日山陰人)

「1年くらいなら続くかも・・・」と千夏さんにもちかけたこの連載が、なんとまぁ100回も続いたなんて。これも、ひとえに千夏ねえさんのお導きと、陰で支えてくれた未来子HP編集長、そして飽きずにつきあってくださったみなさんのおかげと、サコは心より感謝しておりまする m(__)m
で、100回記念に「なにかやって〜!」というアネゴのご下命を受け、いろいろ思案したのですが、祭りにふさわしい楽しげなことがなかなか思い浮かばない(>_<) しょ〜がないから、自己紹介がてら、わが恋人ムキバンダを紹介します。パンダじゃないですよ。鳥取県でみつかった弥生時代後期(約2000年前)の大規模な集落と墳墓群からなる遺跡です。

★雪化粧をした高い山は、“伯耆富士”とも呼ばれる秀峰大山。手前の山は、韓国からやってきたという言い伝えのある孝霊(高麗)山。地元ではカラ山と呼んでいます。そして、赤い線で囲んだところが妻木晩田遺跡です。総面積約170ヘクタール。そのうち、156ヘクタールが国史跡で、国史跡に指定された弥生遺跡のなかでは最大規模です。

★遺跡に立てば、日本海が眼下に広がり、弓ケ浜半島、島根半島、お天気がよければ隠岐の島も見えます。海の向こうに大陸があることを思わせてくれる雄大な景観です。この景観は、まさに出雲の「国引き神話」の一場面なのです。

★遺跡は、鳥取県が誘致した民間企業によるゴルフ場建設にともなう発掘調査でみつかりました。ゴルフ・コースで削られてしまう尾根を発掘したことがよくわかるでしょう?(^_^;) 全体の約1割にあたる16ヘクタールを発掘し、みつかった建物跡が約900軒。1700年前に埋もれて以後、ほとんど破壊を受けることなく、弥生時代そのままの姿が残されていました。それにしても、なんでこんな山の上に大きな集落をつくったのでしょうね。

★調査が終わったら、遺跡は破壊されてゴルフ場建設が始まる予定でした。でも、1997年に山陰特有の有力者の墓“四隅突出墓”が密集していることがわかり、地元で大きく報道されて、保存運動が始まりました。地元出身の考古学徒サコも、その渦中の人となったのでした。つづく!