第93回 ■オトコの花道・卓袱台返し■

中山千夏(在日伊豆半島人)

ふうむ・・・やっぱりねぇ。ケヤキとイチョウの違いもわからん男であったか。日頃は並木なんかよく見ていないのだ。興味ないのだ。ふうむ・・・オトコのなかのオトコだね、まさに。

違いといえば、「違いがわかるオトコのコーヒー」ってCM、最近リバイバルしたでしょ。ネスカフェが40周年とかで、発売当時のCMを出した。
40年前には平気で見てたけど、今はすぐ思うよ、「そうかいそうかい、なら女は飲まなくていいんだな」。視聴者の大半は女なのに、よくあんなCMを平気で出したり見たりしてたもんだよね〜。
あ、まさか今も平気なんじゃないだろうね・・・

オトコのなんとか、ってヤバイよ。まじヤバイ。公衆の安全にまでかかわる。
秋葉原事件で新たにそう思った。6月8日の秋葉原大量無差別殺人事件。

あんなにわかりやすい事件も珍しいんじゃない?
盛大な八つ当たり。手近に、八つ当たりできるような相手がいなかった。で、無防備な群衆を相手に選んだ。
もうひとつの要素は、注目されたい、ってことだ。それなのに誰からも無視されている(と当人は感じた)。もっとも手っとり早いのは、マスコミが注目しそうな事件を起こすこと。で、やっちゃった。
実にわかりやすい。被害者の数に多少はあるけれど、同類の犯罪、多いね。特にアメリカ合州国なんか、銃があるから、大規模なのが起こる。

ところで、みんな不思議に思わないかな。こういう事件、なんで女は起こさないの? 女だって八つ当たりするし注目されたいし人殺しもできるでしょ。ところが、大量無差別殺人犯は、男ばっかりだよ。女の例、ひとつも聞いたことない。なんで? 

私、解明したぞ。これは、「卓袱台返し」と「オトコの花道」が混合して猛毒化したものなのだ! だから男にしかできないのだ!

「卓袱台返し」が究極の八つ当たりワザであることは、言うまでもない。食卓を囲む家族の迷惑考えないとこなんか、被害者への配慮がまったくない八つ当たり犯の精神構造とツーカーで通じる。そして、ここが大事なんだけど、「卓袱台返し」は家長もしくは家長の卵にのみ許されるワザだった。つまり男には八つ当たりを公認する文化があった。

加うるに「オトコの花道」。オトコなら一度は花道を歩まねばならぬ。できれば年中、不可能なら、せめて世を去る時、熱い注目のなか、花道を歩まねばならぬ。「オトコの花道」という言葉(古いけどさ)に象徴される、そういう理想の圧力が古来、男にはあった。

さて、そこで。先祖伝来の卓袱台と花道を、なんの反省もないまま背負った男が、きわめて不遇で孤独な状況に追い込まれて、人生からの退場を意識したらどうなる?
「したいこと・・・殺人/夢・・・ワイドショウ独占」(アキバの犯人がケータイ掲示板に残した言葉)
これは「したいこと・・・卓袱台返し/夢・・・オトコの花道」と言っているのと同じだよ。

女も八つ当たりはする。けれども、男の卓袱台返しのように公認されたワザはなかった。今もない。だから、仕方なく我慢するか、密かに子どもや猫や茶碗に当たる、もしくは自分に当たって自傷行為に走る。
また女には花道がなかった。なにしろ舞台に上がらなくていいんだから。ずっと舞台裏にいて、目立たないのが本分なのだから。注目を集めたくても我慢して、ひかえめに生きるのがクセになっている。
かくして女は、どんなに不遇で孤独な状況に追い込まれて人生の終わりを覚悟しても、決して大量無差別殺人事件には走らないのだ。

派遣労働問題は大きい。情報化社会の影響も大きい。
でも、彼が男性であったことも同じくらい大きい。男性に特有の犯罪は、男性(と女性)の文化的背景をも考えて対策をたてないと抑えられないよ。まずは、無差別大量殺人事件は男の犯罪である、という事実をしっかり認識しないとね。

とりあえず、全男性は自己点検してちょうだい。ほこりをかぶった卓袱台と花道が背中に載ってないかどうか、ね。全女性もそんなのしょってる男を見たら、ほれぼれとながめたりしちゃダメよ。ただちに除去してあげるのが、将来、無差別大量殺人の被害者を減らす手伝いってもんです。

で・・・あああああっ、橋下くん、せ・せ・せ・背中に〜〜〜っ