あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第78回

■オンナの名前、オトコの名前■

佐古和枝(在日山陰人)

南山城ですか。いいですね。南山城といえば、仁徳皇后イワノヒメが仁徳さんのたびたびの浮気に業を煮やして、ついに家出を決行! 出奔した先が、南山城筒木の韓人ヌリノミの家でしたね。仁徳さんが「帰って来いよ〜」と使者を遣わしても、がんとして帰らなかった。そこで、ヌリノミは、「皇后は、うちにいる珍しい虫をご覧にいらっしゃっただけです」と仁徳さんに弁明に言った、という話。
何年か前、愛知県春日井市で古代の女性のシンポジウムがあった時、壇上で千夏さんが、このヌリノミについて、蚕を飼っているということから、「ヌリノミは女性だと思う」と発言し、周囲の先生達をぎょっとさせましたよね。そのなかで、中世史の故・網野先生が「ボクもそう思います」と賛同されたのが、とても印象に残っています。

世界的にみてもわが国でも、機織は女性の仕事です。『万葉集』でも、蚕の餌となる桑畑がお母さんの管理下にあったことがわかる歌があります。だから、当然蚕の世話も女性がやってると思います。それに、亭主の浮気に腹を立ててかけこむのは、男友達の家ではなく女友達の家ですよね。サコも千夏説に一票!

以前、千夏さんが「『古事記』の登場人物をみな、女性だと仮定して読んでみると、オモシロイよ」と言ったこと、目からウロコの思いでした。私たちは、とくに女性だということがハッキリしない場合、なんとなく男性だと思ってしまいがちです。

千夏さんと同じような視点で古代史に取り組んでいるのが義江明子さん。いま読んでる本(『つくられた卑弥呼』ちくま新書)がおもしろいんです。律令以前の名前は、男女の区別がつかないものが多いから、名前だけで男女を決めるのは危険である。それが律令体制になって、男女に負担の違いがあるから、戸籍上でも男女をハッキリさせねばならなくなった。女性の名前に「ヒメ」とか「メ」なんてつけるようになったのは、そんな事情であって、それ以前は皇族の称号も男女ともに「王」だった。聖徳太子ではないかといわれるアマタラシヒコだって、男性を示す「彦」ではなく「日の子」だから女性でもいいんだって。サコが要約すると説得力ないかもしれませんが(^_^.)、古代の戸籍研究が出発点の研究者だから、論の展開は緻密で説得力あります。他にも、“女性は(生むという)聖性によって特別扱いされた”とか“女性はケガレているから神祭りの場から排除された”とかいう通説も粉砕し、明治以降に作られた卑弥呼のイメージのカラクリも暴き、古代の女性たちの逞しい姿を描きだしてくれています。久しぶりに目からウロコがいっぱいありました。

金森一咳さんの卑弥呼のイラスト