あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第69回

■思うところその3■

中山千夏(在日伊豆半島人)

介護者の性別について、私の考えを言うと、結論としてはサコちゃんとまったく同じ、「男女共同参画」がいい。
でも、現状で、自分や家族が介護を受けるとしたら、介護者にはこういう条件を求めるなあ。

(1) 家庭での介護の経験、それはなくても最低、長期間の家事、できれば子育ての経験がある。
・・・・・・となると、女性でしょ。30代後半以降の。もちろん、男性でもかまわないけど、現実にはいないでしょ。行き届いた老人介護をするには、老いを淡々と受け入れるだけの人生経験と、汚い労働への慣れがぜひとも必要だと思う。(恥ずかしながら20代の前半、初めて家事やって生ゴミ触った時には、うへ〜〜〜〜きもちわる〜、だったです(^^;)。
サプとしてもっぱら重労働を受け持つ若い男子がいてもいいけどね。
つまり私がいいたいのは、男女を問わず老人介護の適正として、人間が生きるさまの即物的な実態を、容認し扱える精神と技術が必要だが、現状では、その適正を獲得できている男性は少ない、ということだな。

(2) 労働条件がいい。
・・・・・・6時間勤務で週休一日、最低賃金は月20万程度、厚生福祉充分あり、てとこでどうだろう。それなら、老人を騙してモノを奪ったりいじめたりするほど、追い詰められることもないのでは。そういうひとに4交替で終日介護してもらいたい。

それはそれとして、我が母や同僚のばあちゃんじいちゃんを見ていて、深く嘆息せざるを得ないのは、誰もが満足していない、多少とも恐縮し憤り困り果てている、ということ。
彼らは「お世話になって申し訳ない」と恐縮している。転じて「他人が私の体と行動を支配する」と憤っている。そして、「自分の頭脳や括約筋がもはや自分の意のままにならない」ことに困り果てている。

「自分の頭脳や括約筋がもはや自分の意のままにならない」それは老いの自然なのだ、そして、老いたら他人の世話になるのが当然なのだ、堂々と世話されるがままになってやろう、そう思うことができたら、彼らももう少し気楽になるのではないかしら。

そう思う訓練を、今からしておこう。とりわけ、摂食、排泄の世話を他人にさせるなどは、痛快だ、と思う訓練をしておこう。そう決意している今日この頃です。