あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第61

■全的人間と花■

中山千夏(在日伊豆半島人)

>うちの歩く会の会員さんは男女ほぼ同数で、先生の代理が務まるほど詳しいのは男性会員さん達です。サコの観察によると、男性会員さん達は植物として観察・記憶しており、女性の詳しい人達は、生け花で使うとか食べられるとか年中行事に使うとか、自分の体験のなかでの感覚的な知識のような気がします。

ふむふむ。わかる。ほかのことでもそうだ。「男性群」はシロウトとクロウトに特化する傾向があるのだ。
きっと、役割分担して集団でテキと闘ってきた歴史的経験から、そうなったんだな。女はほとんどが「全的人間」だけれど、社会進出が進むと、特化しがちだと思う。

離島(たとえば小笠原)の住民は、男女を問わずひとりひとりが「全的人間」だね。
芸能を例にとると、演じるひとと観るひととが、時により場合によって入れ代わる。芸能人・・・芸能に特化したひとはいない。
だからといって、カラオケみたいにヘタクソもどんどん歌いましょう、というのではなくて、ちゃんと名人上手が評価され尊重されるようになっている。

ひとが優れた技術を持っていても、その技術だけで評価されたり生活したりしていない、ということだね。

役場の役人にしても、はい、勤務時間終わりました、あとはプライペートです、ってわけにいかないでしょ。狭いから。みんな知り合いだから。
すると、官僚的にわりきった役人ではやってけないから、やはり「全的人間」が役所シゴトをしている、というスタンスになる。仮にその役人が民族舞踊の名人だとして、「昼は役人、夜は芸人」みたいなのが現代社会の感覚だろうけれど、離島では、役人かつ芸人かつ父かつ料理人かつ・・・・・・が時と場合によって、書類整理したり、踊ってたり、という感じ。

理想だなあ、そういうの。でも、都会じゃ無理だろうな。
地域生活とその人間関係を大事にしていけば、かなり理想に近づけそうな気はする。

でさ、そういう「全的人間」の男だったら、花の簪や首飾りをしていても、似合うと思うんだ。
てか、「全的人間」だから、身を花で飾りたくなる、ということかもしれないね。