あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第44回

■恋せよ、乙女■

佐古和枝(在日山陰人)

ぎ、ぎ、ぎょえ〜〜〜(゜o゜) 突然に、なにごとですかぁ〜〜???千夏さんが、こ、こ、恋してるぅ?コイコイしてる、の間違いじゃないですかぁ?(^_^;)
・・・ってビックリしたかったけど、ふふふ、私は知っている。みなさんも、この真相を知りたかったら、千夏さんの衝撃の新著妖精の詩を読みましょう。ハラハラドキドキ、手に汗にぎるスリルとサスペンスの純真純愛物語。何歳になろうが、恋せよ乙女。すべての女性に希望を与える千夏さんに国民栄誉賞を!
さて、シラフに戻ります(^_^;) 恋にせよ「オンナを捨てる」という話にせよ、考古学で語るのは至難の業。なんせ、私達が出会える弥生人は、ガイコツ状態ですからね。男女のペアの墓というのは稀です。
古墳時代になると、同じ古墳や1つの棺に男女が埋葬される例もでてきます。でも、数は多くないし、1つの棺で男女の数がペアにならない複数埋葬の例もあり。やっぱり雲を掴むような話しかできません(^_^;)
3世紀末に完成した『魏志』倭人伝には、当時の日本列島西部(倭)の社会の様子が書かれています。それによると、倭人社会では、身分の高い男は数人の妻を、身分の低い人でも2,3人の妻をもっているとあります。そして、妻たちは嫉妬しない、とも。
「羨ましい!」と思うなかれ。当時の倭人社会は戦乱の緊迫状態に包まれていました。一夫多妻は、オトコ達が戦いで亡くなって、オトコの数が少なくなっていた結果かもしれません。しゃーないか、とオンナ達は1人のオトコを共有した。そう思うと、複数のオンナ達の相手をせねばならない男性が気の毒にも思えてきます。前にも書いたように、古代には赤ちゃんの生存率がとても低かったから、子孫確保のために、複数の妻が必要だったのでしょう。オンナもオトコも大変だったんです。ちと穿った見方をすれば、倭人伝には、オトコは一夫多妻だと書いてあるけど、その妻たちが一人の夫しかもってなかった、とは書いてない。多夫多妻だったから嫉妬もしなかったのかも(^_^;) 真実は、神のみぞ知る。