あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第38

■“らしさ”の証拠■

佐古和枝(在日山陰人)

うひゃ、ひゃ、ひゃ〜、出た、出た!! こういう話は、千夏さんの独壇場。歯切れのよい千夏節に、嬉しくなってきます。
ご指摘の通り、考古学は「〜らしい」「〜と思われる」が溢れています。正解は永遠にわからないだろうことも少なくありません。
でも、それはたぶん古代に限らない。たとえば昭和という時代についても、文字や写真・映像などがなく、自分の体験として知っている人達もいなくなり、ただ当時のモノしか残っていなければ、それがどういう時代だったかを知ることは、とても難しいことでしょう。いわんや2000年前をや。ことほど左様に、モノから歴史を復元するというのは、簡単なことではありません。わかっちゃいるけど、それでもやっぱり諦められず、あ〜ではないか、こ〜かもしれぬって夢中になっている。考古学者ってヘンな生き物ですね。
とはいえ、勝手に想像しているだけではありません、念のため。一人でも多くの人を「ナルホド」と納得させるようなデータ集めとその組み立て方が勝負どころ。大切なことは、「事実」と「解釈」の線引きだと思います。怖いのは、「甲冑が副葬されていたら男の墓だ」、というように、「解釈」を「事実」のように思いこんでしまうこと。また、その「解釈」が、いまの私達がもっている物差しで過去を測ろうとしているものだったりすることです。
記紀をみれば、武器をもって戦う女性達がいる。千夏さんのいうように、武装=男装という「解釈」は、後に世の中が「戦うこと=男のすること」となってからのものですね。では、いつから、なぜ「戦うこと=男のすること」になったのか。また、そのことで、世の中はどう変わったのか。そのあたりをきちんと見極めたいものです。