あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第34

■オンナと武器■

佐古和枝(在日山陰人)

大和稲刈歌、いいですね。歴史の光が当たらないところで、黙々と汗を流した多くの人々が、実は歴史を作っていることを、忘れてはいけないですね。オンナにも、なかなか歴史の光があたらない。だからこそ、目を凝らして、歴史のなかのオンナ達の姿をみつける努力が必要だと思います。
1月12日から15日まで、アジアで初めて世界考古学会議中間会議が大阪で開催され、世界各地の考古学研究者が集まり、160近くの研究発表がありました。テーマとして、考古学と教育、差別と疎外、ジェンダー、考古学の倫理、戦争・暴力、学術的帝国主義、先住民との共生など、日本の学会ではあまりとりあげられない分野があり、外国では現代社会が抱えるさまざまな問題に、考古学も問題意識をもって取り組んでいることを教わりました。
そのジェンダー部会でのこと。副葬品の武器の有無を根拠に、古墳の中心位置を占める被葬者を男性だとする前提で、若い日本人研究者(男性)が発表しました。男女の区別ができる人骨が残っていない場合、古墳の副葬品の内容で、被葬者の男女の判断をすることはよくあります。つまり、武器が少なくて、鏡や装身具だけしか副葬されていない場合はオンナの墓。武器が多い古墳、とくに甲冑をもっている場合は「オトコの墓」。あるいは、男女の別の手がかりになるような副葬品がない場合でも、なんとなく「古墳の主=男性」とみなされているように思います。おそらく、おおよそは間違っていないのかもしれません。
だけど、記紀をみれば、天照大神も神功皇后も、甲冑を身にまとい、武器をたずさえました。九州では、神功皇后の進軍に対して、姉妹が挙兵しました。崇神天皇条では、南山城の武埴武彦の妻・アタヒメが、夫とは別働隊を率いて大和に攻め入りました。神武天皇の率いた軍隊には男軍と女軍がありました。
もちろんこれらの神話や伝承をそのまま事実とみなすことはできないとはいえ、古代にはオンナが武装して戦う場合もあったことを反映しているとみていいでしょう。だから、いくら武器がたくさん副葬されていたとしても、人骨で男女が確認できない限り、その古墳の主がオンナかもしれない可能性を無視しちゃいけないと思うんですね。
 ・・・と思っていたら思っていたら、総括担当のアメリカの女性考古学者が「武器をもっていたら男性だというのは、伝統的な(つまり古い)考え方。あまり決めつけない方がいい」と、にこやかに指摘して、カッコよかった!