あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第30

■もっと、もっと・・の結末■

佐古和枝(在日山陰人)

前回は風邪ひいた言い訳みたいな話でしたが、さすが千夏さん。歴史をひもとけば、人間って素晴らしいと思うことと、人間は残酷だなって思うことがあります。その両方を学ぶことが大切なのですね。
さて、風邪も治ったので、話を元に戻しましょう。米作りを始めた弥生人は、「貯める」ことを覚えました。 
狩猟採集の生活では、長期間の蓄えが可能な食料は案外少ない。もちろんドングリは地面に穴を掘って貯めているし、肉や魚、貝なども塩漬けとか干物にして保存したでしょう。でも、それほど長期間の保存は無理ですね。
一方、穀物は何年もの間保存できます。だから、がんばってたくさん作れば作るほど、将来の生活は安心だし、余分な米を物々交換して欲しいものを手に入れることができる。
人間って、一度「貯める」ということを覚えたら欲がでて、もっと欲しくなるものですよね。もっと米を作りたい。もっと、もっと、もっと・・・。
稲作が始まってから200〜300年たった頃、
朝鮮半島から青銅器や鉄器が本格的に導入され、生産も始まります。鉄の道具だと、仕事の効率がうんとあがる。だから、これも「もっと欲しい!」
自分でなんとかできる以上に「欲しい」となると、田んぼを作るための土地や水、広げた田んぼを耕す労働力としての人間、朝鮮半島から輸入する鉄器の原材料や製品などの奪いあいとなり、社会がギスギスしてきました。やがて青銅や鉄の武器が出まわり始め、ムラはまわりを濠と土塁で防御をかためます。墓地には武器で傷ついた人が・・・。ついに戦争が起きるようになったのです。
米も鉄の道具も、人々の生活を豊かにするものなのに、それだけに、皆が欲しがり、争いの種になった。昔もいまも変わらない人間社会。嗚呼・・・