あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第18

■タマの話■

佐古和枝(在日山陰人)

「魂がこもるから、美しい球形になる。それをタマという」という千夏さんの話から、思い出したのは「お年玉」。本来は、正月に食べるお餅のことなのだそうです。東日本の餅は四角でも、神様の宿る鏡餅は丸いですよね。この餅にも生命力が宿るとされて、お正月にそれを食べることでまた1つ生命をいただく、つまり歳をとるというわけです。
考古学でタマといえば、勾玉・管玉・小玉などの玉が、ガラスや碧玉、メノウ、滑石などの石で作られます。首飾りや頭飾り、腕輪や足輪などの装身具ですが、現代人みたいにオシャレ感覚というだけでなく、それを身につけることに何かの意味があったと考えられます。
「玉」という言葉も、魂のタマからきているようです。「玉の緒を切る」つまり首飾りなどの玉を連ねた糸を切るというのは、死ぬことを意味する古代の表現です。実際、古墳では首飾りと思われる玉が散乱した状態で出土した例があり、「玉の緒を切る」行為が実際におこなわれたとみる研究者もいます。
また、タマフリは、生命力を強化するという意味。正倉院に伝えられているタマフリの呪具「玉箒(たまははき)」は、先端に瑠璃(ガラス)の玉がついています。
古代の玉のなかで、とくに珍重されたのがヒスイの玉です。日本にはヒスイの原産地がいくつかありますが、なぜか古代の遺跡で出土するヒスイのほとんどが、新潟県糸魚川市に流れる姫川とその西側を流れる青梅川の上流でとれる「姫川ヒスイ」です。
姫川は、古代にはヌナ川と呼ばれていました。ここで思い出すのが、出雲の大国主命が求婚に行ったという越のヌナカワヒメ。姫川の下流一帯は、古代の沼川郷、ヌナカワヒメを祭る式内社・奴奈(ヌナ)川神社もあります。
大国主のいる出雲も玉作りで有名な地域です。大国主とヌナカワヒメのラブロマンスは、「玉繋がり」といえるのかもしれません。