あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第16回

■卵の話■

佐古和枝(在日山陰人)

は、はいっ!縄文人が卵を食べたかどうか、ですね。お答えします。「食べたとは思うけど、食べたという確証はありません」です。しょーもない答えで、すみません。
縄文人が食べたもののうち動物性の食べ物は、縄文人のゴミ捨て場、つまり貝塚の調査でわかります。食べ残しや加工処理で生じた大量の貝殻のアルカリ成分のおかげで、土中では腐りやすい魚や動物、鳥の骨などがよく残るのです。とくに動物や鳥の骨なら、骨に解体痕がある場合もあって、食べたということが確認できます。とても薄い貝殻でも残っているから、卵の殻でもあれば残るだろうとは思うのですが、卵の殻の出土例というのは、まわりの縄文研究者に聞いても首をかしげています。
だけど、縄文人はさまざまな鳥はもちろん、フグでもカニでも、サルだって食べていた勇気と貪欲さの持ち主です。鳥の巣に卵があれば、食べてみようと思ったでしょうね。貝塚で卵の殻が出土しないのは、鳥の巣でみつけた卵を、その場でちょいと味見する程度だったからではないでしょうか。前にも書いたように、縄文人達は節度をもっています。鳥が絶滅すると困るから、巣の卵をごっそりムラに持ち帰って食べるということはしなかった。だから、貝塚で出土しないのではないかと思います。
卵といえば、私達が思い出すのが鶏です。古墳時代には、鶏形の埴輪があります。鶏は夜明けを告げる「時の使者」であり、「時」は権力者が支配するもの。実際、鶏形埴輪は有力者とみられる古墳から出土するし、記紀をみても鶏が神聖視されていたことがうかがえます。だから、食用ではないと考えられています。原則的には、ね。
7世紀の終わり、天武天皇は、牛・馬・犬・猿とともに、鶏も食べてはいけないという禁止令をだしました。でも、禁止令がでるということは、食べる人がいたということでしょう。
奈良時代の仏教説話集『日本霊異記』には、『善悪因果経』に「鶏の卵を焼いたり煮たりする者は、死んで灰河地獄に落ちる」と記されていることが紹介されています。
それでも江戸時代になると、数百種類の卵料理があったことが史料で確認できます。美味しい食べ物の魅力には、なかなか勝てないですよね。