第56回「雪絵ちゃんの願い(4)」

山元加津子(在日石川人)

 雪絵ちゃんのお話の続きです。

---------------------------------------------------

 十月になって、雪絵ちゃんをすごく重い再発が襲いました。雪絵ちゃんは意識不明になって、そして救急車に乗せられて病院に運ばれていきました。知らせを受けて、すぐに病院にかけつけたけれども、雪絵ちゃんは絶対安静で、面会謝絶で会うことはできませんでした。がんばって、がんばってって思いながら、毎日病院に行っていて、でも、なかなか会うことはできなかったんですね。

 でも、11月の半ばになって、雪絵ちゃんのお母さんが、「雪絵の容態が落ち着いたので、会ってやってもらえますか?」と言ってくださいました。
「うわあ、うれしい」って言ったら、けれど「山元先生に言っておかなければならないことあがるんですね」とお母さんが言われました。「雪絵の脳をCTで見たら、真っ黒で、もうこの子は何も見えないし、聞こえないし、感じていません。何もわからないんです。先生に会っても、この子は何もわからないでしょう。でも、山元先生はこの子が大好きな人でしたから、会ってやってくださいますか?」と言ってくださったので、私は雪絵ちゃんに会わせていただくことにしました。

 病室に入っていくと、雪絵ちゃんは、身体を半分起き上がらせるようになってるそういうベッドに身体を横にしていました。で、「雪絵ちゃん」って言って、そばに行ったときに、びっくりすることが起きました。雪絵ちゃんは、私が最後に会ったときは、指一本動かせなかったはずなんです。けど、私が「雪絵ちゃん」と言って手を握ったら、雪絵ちゃんはものすごい力で私の手をぎゅーっとつかんでくれました。ああ、私がここにいるって、雪絵ちゃんはわかっているんだ。魂か何かわからないけれど、CTで撮った脳が真っ黒でも、私がいるってわかっているんだなって思いました。

 次に行ったときに、雪絵ちゃんは言葉を取り戻して、雪絵ちゃんは「痛い、痛い」って行ったり、「先生」って言ってくれたりしました。私が話していることに対して、「よかったね」とは言ってくれなかったけれども、雪絵ちゃんは確かに、私がいることがわかっているなってそんなふうに思いました。また毎日のように、雪絵ちゃんのところに出かけて、今日あったことを話したり、クリスマスが近かったので、クリスマスの歌を歌ったりしました。12月の23日に、あの、雪絵ちゃんのところに行ったときに、雪絵ちゃんにまた重い再発が起こっているということがわかりました。でも、私は、12月の24日に、どうしても、ソウルに行かなければなりませんでした。私の本を韓国で出版してくださるという方がおられて、もう1年も前から、私が休みになったら行くって約束してたんです。

 雪絵ちゃんに「がんばってね。お誕生日も28日で近いし、クリスマスもあるから、雪の模様のパジャマを買って帰ってくるから、何か探して帰ってくるから」ってそう行って病室を後にしました。

 そして24日に小松空港に行ったら、小松空港のカウンターのところに貼り紙がしてあって小松はいつもね、冬は雪なんですけど、その日はめずらしくいいお天気だったのに、「天候不良のため、飛行機飛びません」って書いてあったんです。ソウル便飛びませんって。おかしいなあ、こんないいお天気なのになと思って、カウンターで聞いたら、この便はソウルからの便の戻りなんだそうです。だから、ソウルで天気が悪いんですよっておしゃったんですね。それで、友達に電話をしたら、ソウルの友達は、編集者の友達は、「おかしいんですよ。不思議なんですよ。こちらもいいお天気で、東京の便も、大阪の便も、みんな同じ時間に飛んでいるのに、なぜか小松の便だけが飛ばなかったんですよ。おかしいですね」って。

「じゃあ、次の便が出るのが26日だからそのときに行きます」そういうふうに約束をしました。

 それで、26日の便は、お昼頃なので、その用意をしていたら、朝の六時にうちの電話が鳴りました。それは、雪絵ちゃんが亡くなったという報せの電話でした。