心なごみませ  第51回

「記憶の中」

山元加津子(在日石川人)

 学校の子供さんの実習先へ打ち合わせに行かせていただいたのです。そこは、入所施設や、ショートステイの施設もあります。私は20年ほど前に何年も一緒にいることのできた友達に会えました。
「とおるちゃん?」 声をかけると、とおるちゃんは、遊んでいたひもから、目を私の方へ移してくれました。じーっと私を見て、とおるちゃんは私の手をとって、立ち上がって、私をひっぱってくれました。ろうかをずんずん進んで、とおるちゃんはどこへ私を連れて行ってくれようとしたのでしょう。 とおるちゃんは、話し言葉としての言葉を使われません。私のこと、とおるちゃんの記憶のタンスの中に、しまっていてくれたのでしょうか? 胸がいっぱいになりました。 とおるちゃんと一緒にすごしたときのこと、ずっとずっとあれから考えています。 とおるちゃん。子ども達と気持ちを伝え合うことのうれしさ教えてくれた友達。傲慢な私の気持ちを、それではなんにもならないんだよとおしえてくれた大切な友達です。

 とおるちゃんとの再会はかくちゃんとの再会を思い出させてくれました。同じように20年ぶりくらいに突然かくちゃんのおられる施設を訪ねました、かくちゃんは目がほとんど見えません。廊下を歩いていると向こうの方にかくちゃんがいるのが見えました。「かくちゃん」と声をかけると、かくちゃんは、私がいることも知らないはずなのに、「かっこちゃん、僕は角砂糖のかくちゃんじゃないですよ」と笑って言いました。大昔、私のことを「カッコウ鳥のかっこちゃん」と呼ぶから、「なあに、角砂糖のかくちゃん」と呼び返したことがあったのです。いるはずのない私の声を聞いて、かくちゃんはすぐに私のことを思い出してくれたのでしょうか?
 人と人との出会いは本当に不思議です。広い地球の中で、おんなじ時代に生きて、出会えるということは、もしかしたら奇跡に近いことかもしれません。お互いに関わり合って、心の中に何かを残して、そして、記憶という引き出しの中に大切にしまわれて、ときどき顔を出す。出会うと言うことは宝物を持っているということのような気がしてなりません。