心なごみませ  第13回

「敏感であること」

山元加津子(在日石川人)

 なおちゃんという男の子と一緒にお勉強をしていたころのことです。
 もう、ずっとずっと前のお話。
 ある日、大学の先生が、学校へ見学に来られました。車いすに乗っているなおちゃんに、先生はこんなふうに話しかけられました。
「僕はね、君よりひどい人と何人も一緒に勉強したよ。だからね、君もがんばりなさいね」
 なおちゃんは「はい」と頷いていましたが、私は、その大学の先生の言葉が、どこかしっくり来ませんでした。

 大学の先生が帰られてから、同僚に、「今日来られた先生の言葉、なおちゃんよりひどい人と何人も……という言葉、私、とても心にひっかかったの。なおちゃんより”ひどい”ということはなおちゃんも”ひどい”ということにならないのかな?なおちゃんは悲しくなかったかな?どう思った?」と尋ねました。同僚は、「別におかしくないよ。なおちゃんを励まそうと思って言ってくださったのだもの。山元さんって、案外、心が狭いのね。びっくりしたなあ」
同僚の言葉も、私はどこか、違う気がして仕方がありませんでした。でも、どうしてだか、よくわからなかったのです。

 いつものように、今日あった話を、友達の雪絵ちゃんに(コラムに前に載っている雪絵ちゃんです)しました。
「私ね、心が狭いって言われたことも、なんだか悲しかったの」
 雪絵ちゃんはこんなふうに言いました。
「私は、心が狭いと言われようと、何と言われようと、自分が自分であることを否定されるような言葉には敏感でいたいの。ありのままの自分で、それでいいと思っているのに、もし、あなたよりひどいとか、あなたより、ひどくないと言われたら、それはやっぱり嫌だもの。そうだよ。だから、私ね、いつだって、そういう言葉にはこれからも敏感でいるよ」
 そうだったのです。いつもいつも自分を大切にしてる雪絵ちゃん、自分だからこそ、気がつけることがあるし、自分だからこそ出合えた人がいる・・そのことを雪絵ちゃんはいつもいつも、私たちに教え続けてくれたんだなと思います。

 私もやっぱり、敏感でいたいと思います。自分が、子どもたちが、ありのままで素敵でいられるということの素晴らしさを、大切に思い続けたいです。